不可視

先月だったか、マイミクの人と医療機器販売詐欺に
ついて、話してたのだった。曰く
「レイトンハウスや豊田商事レベルなはずなのに
ニュースにならないのは、納得できない」と。
30そこそこの会社員が描くにしては余り巨大だ。
それにこの手は、発覚するはるか前からいろんな
人がカツアゲにくるのだからして、気がついたら
1割も残ってなくても、だれも驚かない。
しかしそれらを全て鑑みても、判然としてこない。
もっと底抜けてるような気もする。
たとえば。
じつは元ネタでそっくりのスキームがアメリカに
あって、あっちはここまでヴァーチャルではない
にせよ、破綻は必至のすれすれで、おさえに1桁
多く集めてるとか。



詐欺が表ざたになるたび、時代の終わりを味わう。
都合がわるいからと、目をそむけてたはずなのに
つきつけられてるような気がする。
「騙されるほうもよくない」
とは絶対に、言ってはいけない話になってる。
それというのも、真実だからだ。
社会はイカサマを、否認することでなりたってる。
欲がなければ騙されない。話がつうじないからだ。
でも欲のないひとなど、そういない。
だれかと欲望を共有できないのは1番、恐ろしい。
同じ言語体系のもとにいるとは、なにか同じもの
から盲でいるのと、かわらないのだ。



アメリカの経済ブログでもとりあげられてたから
常温核融合はべつにどうも、思わなかった。
でも「水だけで永遠に走る自動車」のニュースは
さすがに、ちからを落とす感じだった。
もうダメだと思った。
街へでかけてって知り合いに遭って、みんなから
お前だれ?て言われたとしても、淡々としてよう。
そう決心したほどだった。
なんでも理系の初歩知識さえあれば、いいかげん
だとわかるらしかった。
しかしそれも違う。
なぜなら無知を解除したとこで、錬金術をやめる
奇特なひとはいないから。
人類、数千年の歴史が証明してる。
むしろ反対と言ってよい。



触媒(ミディアム)とは、変化しないものをさす。
反対に燃料は、話題のブログのように、炎上する
しか能がない。
マスメディアのどこも、触媒としての機能なんか
とっくになくして、たきつけたり煽ったりすれば
簡単に手を血で染める。というか、ひと殺しだと
自覚のそれほどないままに、トラックでつっこむ
ような真似をしてきたからこそ、あんな自動車を
取材にいける。
当の本人たちは、時代にあわせてきただけだから
変節してしまってるだなんて、夢にも思ってない。
ささやかな明日を信じてるだけなのだ。

AM9:50

古書会館。
今日は新興古典なので人もすくなめ。行列の顔も
ほとんど見知ってる。よい天気。快晴。
和本の山をひっくりかえすのはとりあえずあとに
まわし、紙モノを主にみる。浮世絵にはさまれて
瓦版が20枚くらい。半分ほど読む。
大火の記録など。
顧客カウンターで書簡の読みくだし。
買ったもの
鎌倉書房・ゴンクウルの日記(並)200円
読史備要(付録なし・線引き)1200円
ユリ・ゲラー わが超能力(帯) 525円



ガード下の満州料理屋で、遅めの朝食。
羊肉の水餃子。生ビール。
デコラ張りの、1M×1Mもないテーブルが4つ。
真っ赤なスツールが8つ。かたことの日本語。
近隣には日本最古の地下街を有し、決して太陽を
見ぬままのうちに、昭和のあのテクノデリックな
雰囲気が、抗酸化パックで保存されてる、この街。
できるべくして出来た店といえる。



会場にもどってさらに1時間ほど過ごすが、もう
なんとなく今日は終わった気がする。
そこで近江屋へ。
フレッシュ苺ジュース飲み放題へいく。
カウンターで家からもってきた「偉大なる金日成
主席の社会・経済・政治思想 1983・平壌
を読む。
ふと顔をあげるとここんちの旦那がティラミスを
ぱくついてる。
瞬間、ん?と思うが、よくよく考えてみれば他に
チョイスとして存在してるスイーツ類(エクレア
アップルパイ、チーズケーキ…)の中では、この
ティラミスこそが、時代の最先端なのであった。
というか1周まわって、クラシックの仲間入りを
はたしたと言ってもよかろう。



考えすぎてるんだか暑さで間抜けてきてるんだか
判然としなくなってきたので帰る。






 

AM7:20

シェラトンまでいく。
玄関まえ、車よせの1番先に、オレンジがかった
アルマンダインの、220のコピーが停まってる。
街で見かけるのはせいぜい3色な、このモデルで
ヘタしたら下取りの際、数10万は査定の下がる
こんな色を、わざわざ買うとは…
とあきれてたら、やはりK美んちの車だった。
ほぼ10年ぶりに、それも未婚の幼なじみの姿を
拝むのは、板子下の深遠を覗くこころ持ちである。
鯉のように諦めて、じっとステアリングを握って
フロントガラスを雨粒が、つたってくのを追った。
ところがいつまでたっても、なんもおきない。
横目でちらっと見やると、なんとこの女は10M
むこうの、回転ドア横からガラス越しにこちらへ
顔むけたまま、ぜんぜん気づかずにいるのだった。
どうりで2年ごとにカタログをゆびさして好きな
色で車をえらんでばかりいると、誰かが10年間
おなじ車に乗り続ける。などということはもはや
想像もつかない、遠い世界のできごとなのだろう。
今や日本で最も憎まれてる会社の重役の娘てのは
どれほど毎日、しあわせな気持ちで過ごせるのか。
ちょっと訊いてみたい感じもしたけど、やめとく。
だいたい知らないかもしれないし、教えたとこで
どうなる問題でもない。
私ではなく誰か、勇気ある者が説けばよいのだ。
それにしても、世の中を逆恨みして暴れる余裕が
あるなんて、つくづく秋葉原の彼が羨ましい。
ばれないうちにそろそろと車を出し、逃げ帰る。
もしかするとばれてたかもしれない。



そのまま第3京浜で、車検の手続き。
工場のジャッキで上がってるのは、ちょうど今回
やろうと思ってる、ヘッドまわりを分解整備中の
紺色の140である。
おそらくはこの104搭載で、うちの車と重さが
おなじくらいなはず。
アメリカの部品屋で36の、それもAMGでない
社外のカムシャフトを発見($500)した話を
すると、それは純正より安いのではないかと言う。
とはいうもののこれ以上、高速型にしても意味が
ないので見送り。
来年予定の屋根まわりについてうちあわせ。
まだ、ネットのどこでも見かけたことがないので
書いとく。
パーツ番号が変更になって、さらにはクオーター
内部に左右、追加でプレート状のものが入ってる。
間違いなく改善部品あつかい。
しかしアメリカやドイツにある、いわゆる幌屋へ
現在まで問い合わせたかぎりでは、はっきりした
答えがかえってきてない。
プレートそのものは6000円くらい。
屋根をあける際、たしかリアウインドーの1部が
生地と干渉し、ここから雨が漏ってくる。
ドイツで売ってる中古にも「お約束の」と記載が
あるくらいだから、修正かけてきてるはず。だが
1)番号変更が、形状の変更ゆえなのか
2)その場合、社外が既にそれに対応してるのか
3)プレートとあわせ、改造がきくのか
これらがまだ、はっきりしない。追加で調べる。
つづいて年末まで直してた、機械式5速について。
正確にはこれは機械式4速+レイコックのような
オーバードライブである。
4速はキックダウン、オーバーロードスイッチの
2つとも、ミッションの外側についてる。そして
こっからATFが漏る。
5速はオーバーロードが211のように中に移動。
よって外部に記してある番号で検索しても出ない。
ATF漏れ修理の場合、接続部のOリング交換を
まず試す。リングだけ発注できる。
ということは反対に、例えばATFが規定を超え
圧がかかったら、電子制御のように毛細管現象
おこし、コンピューターを破壊する可能性だって
あるわけだ。
ただし211はオイルパン自体も浅くなってるし
どうやらバルブボディも、オフセットしてる。
比べるとあきらかに設計ミス、というよりは欠陥。
たぶん直らない。壊れるし直しようがない。
平たくいうと東西ドイツが統一してからはなにも
みるべきものがないということだ。1000万を
超えても、使い捨てるような車しか作ってない。
それが「高級」だったのだ。
きっとあちらでも会社の長が、2年ごとに新車を
入れ替えるような愚行を、続けてきたに違いない。

鏡 (id:suekichi-sunへ)

たぶん私が日本で1番、早くマッキントッシュ
文章を書きはじめたひとりなのだと思う。機種は
SEだった。
そのころはまだ、ほぼ100%の人が原稿用紙の
マス目を手で埋めてた。あと取材のときは、必ず
メモ帳を持参するよう、教わった。私も、最初の
1どだけ、あの200字ヅメの紙に鉛筆をもって
むかったことがある。
ところが私は、漢字がぜんぜん書けないのだった。
きっと小学生にも劣るだろう。なにが第1言語か
うやむやのまま、育ってしまったせいに違いない。
おまけに手も小さく、字もきたない。取材メモを
見かえしても、判読できたためしがなかった。
「マズいよなぁ…どうすんの?」
と、よく冷やかされたものだった。お払い箱寸前
だったのかもしれない。仕方なくインタビューの
際にはテープをまわさず、全て覚えるようにした。
しかし問題は原稿だ。



幸いにして読んではいたから、認識だけはできた。
今から考えると信じれない話だが、ちょうど電子
音楽が出始めのころ、人間が演奏してないがゆえ
「魂がない。こころがこもってない」
みたいに貶められたのと同じように、文章を書く
とは即ち、筆先と頭脳との運動による交流であり
その作業においてのみ、真理は開示される。的な
俗説を、大半の人々が盲信してた。
要するに機種依存が、甚だしかったのだ。



大部屋の中に、1台だけ親指シフトがあった。
この富士通ワープロは、主に「書き直し」用だ。
なんたって、ろくでもない連中に原稿を依頼する
のだからして、まともな文章などあがってこない。
ほとんどをリライトする帰結となる。校閲の信任
あついYさんという先輩が、締切りの前になると
24時間体制で、ディスプレイを見つめてた。
通常どんな原稿もできあがると校閲が読み副編が
読み副々編が読み、で内容に問題がありそうだと
総括されると編集長に呼びだされ、小言をくらう。
そのくりかえしだった私にしてみれば、Yさんの
仕事ぶりは、パガニーニを聴くような経験だった。
そのままノーチェックで印刷屋へもってけるのだ。
つまり3日は余裕ができる。
3日間遊んでられるのである。これは真似しない
手はないと思った。そんなこんなで、そもそもは
日本語能力の欠如からはじまったデジタル入力の
けもの道を、歩いてく運びとなったのだった。



最もわかりやすい例として、まず雑誌をあげたい。
どんな雑誌でもいい。手にとって欲しい。文章が
写真やイラストに挟まって、ひとつのブロックを
25字×40行×4段のように形成してるはずだ。
しかしこれは、400字ヅメ10枚とは全く違う。
原稿用紙スタンダードだと、20×20×10で
依頼するしかない。
他に基準がないからである。
だが、この「原稿」は上記のブロックに、絶対に
きっちりおさまらない。
原稿を頼むのはぎりぎり締切りの2週間まえ。
ページのレイアウトが決まるのは、もっとあと。
必ず、足りないか余るかする。文章かデザインの
どちらかを、または両方を修正せねばならない。
机の脚を1本々々切りおとしてって、長さを調整
みたく、いつも非人間的に振るまってるのである。



大部屋の隅、デザインチームが陣取ってるわきは
昔は盾の会メンバーだった、というカメラマンや
秘書というは名ばかりで、実のとこは他の会社の
編集長の妾、要は預かりもんの妖艶なお姉さんや
副業は鉄板でアレに違いない、サンフランシスコ
からきたヒッピーくずれの通訳なんかが集ってた。
そこに当時としては最新鋭の30が、インテリア
として飾ってあったのだ。



それまでも、たしかに
「400字といわれたら、381でも399でも
なく原稿用紙いっぱい。きっちり400字書いて
わたす」
のような伝統はあった。
またごく1部においてはレイアウト先行、つまり
あらかじめフォーマットの決まった面の何処かに
文字をおいてく。そんなパターンもありはした。
しかし今や、完成形を鏡像としてイメージできる。
能率は飛躍的にあがった。
デザインさえ判明してれば、2週間はかかってた
作業が、ほんの数日で済むようになった。
ここにおいて「原稿」という概念は消滅したのだ。
あるのはただ、無限に反射する鏡の間だけ。
余り調子にのりすぎて、気がついたら1冊の雑誌
7割近くを自分で書いてたこともある。
単純にそのほうが、他人に頼むより早く、遊びに
いけたから。なのだけど。



デジタル革命は、第2のグーテンベルグである。
なぜならば、私のやってきたことは、それまでの
基準では「にせもの」だから。
例えば私が日記を書くとき、イメージしてるのは
岩波の新書版の漱石全集、日記編だ。
24字×18行×2段となる。
このフォーマットがワードに入ってる。
ワードさえあればいい。プリントアウトして漱石
全集の表紙をつければ、シミュラクルができる。
見かけは完全に岩波なのだが、中に入ってるのは
私の記録。
「原」という概念は、常に問題を含んでる。
ものごとには確たる原因などありはしない。
これまでのように、本を作る際
「無から有を生み出す」
物質化の苦労など、もうしないで済む。お好きな
形式だけを、巨大なアーカイブから借りてくれば
いいのだから。
これは偉大なる解放である。

資格

なぜだか急に、空しくなって、ベッドへ入っても
いっこうに寝つけず、やがて鳥たちの声が聞こえ
ぼらけるまで、プルーストを読んでばかりいた。
ここの本棚に挿してあったのは「ソドムとゴモラ
「囚われの女/上下」「見出された時」の4冊だけ。
ほんとはもっと前のほう、もう少し明るいとこを
読みたかった。
  


フランス装丁でない2冊は、中学へ入った記念に
六本木の古本屋で買ったセットから、の物になる。
その後イギリスへいき、アフリカへいき、そして
日本へもどり、またイギリスへと、いつも傍らに
いてくれてたのだった。
「見出された時」のカバーが外れ、ところどころ
茶色くなってるのは、たしかあの夏、親しかった
現地の日本人数家族と、連れだって出かけてった
サン・シティで、皆がゴルフやテニスに興じてる
あいだ中、380SELの後部座席へ寝ころんで
読みつづけ、ついにちから尽きて取りおとした際
ついた、アフリカの土である。
なぜ興味もないリゾートへ、わざわざ同行したか
どうしてホテルへ入らず車の中で半日以上、本を
読んでたのか。そのへんは一切、記憶にない。
ただあのころのベンツ特有の匂い、今でもたまに
機会があって同じ車種に乗ったりすると、いつも
あの瞬間だけが、襲ってくる。



Fさん家とは、とりわけ親しかったから、きっと
サン・シティへも一緒だったはずだ。
娘が2人いて、妹はひとつ下、姉はわたしよりも
3つ上だったと思う。
そのころの3つは、手のとどきようもない遥かを
仰いでる感じだった。
妹とは、会うたびに詰らない冗談も言え、海辺の
ホテルでも、食堂のテーブルの下へ共に隠れたり
ミニバーのボトルを、ぶつけあったりできた。
しかし姉のほうとなると、てんで話にもならない。
なにか言われても、気のきいた応えどころか返事
すらできず、さぞかしおかしな奴だと思われてた
にちがいない。
おまけにそれまで、体育の授業なんか出たことも
なかったというのに、週3回ウチへきてくれてた
テニスのプライベート・コーチに、このわたしも
レッスンをうけたいとまで言いだして、数ヶ月は
彼女と、ミックス・ダブルスでペアを組む夢まで
見てたのだから、絶対に、どうかしてたのだ。
 


彼女が死んだと聞いたのは、イギリスでだった。
庭の立ち木へ縄をかけ、妹が最初に見つけた時は
息をしてたらしい。
なんでも恋愛に悩んだあげく、という説明だった。
バカな。と思った。かなり憤慨したのを覚えてる。
婚姻が禁じられてるとはいえ、日本人は白人だ。
そしてそれは、単なる制度上の、約束でしかない。
見かけはなにも、決定しない。出生地主義下での
わたしはインド人で、この事実だけで家族の中で
1人、劣等人種あつかいとなってしまう。そんな
下らない話で命を落とすなんて。こっちはもっと
深刻なんだぞ。
とはいうものの、いくら罵っても還ってくるわけ
もなく。
それまで読んできた書籍の、全てのセンテンスが
生はイリュージョンだし、愛など不可能だと証明
してるにもかかわらず、好きだと告白しといたら
よかったと後悔した。
相手にされなくても、きちんと伝えておけたなら
ひきとめれたかもしれないと、今でも考える。
だって本当に好きだったんだし。
ご夫妻は現在でも、かの地に在住してる。結局は
娘の身体が、彼らをアフリカへ繋いでるのだ。



最近では、ひと1人が自らの命を絶つのに、そう
たいした理由もいらないんじゃないか?とも思う。
死ねる人間と、そうできない人を、わける気にも
ならない。
親鸞だったら、そういうだろ。としか感じない。
例のアナウンサーのあれ。について、ネットでは
とうとう他殺説まで、流れるようになった。
愛人だとか謎のカウンセラーだとか日本はじつは
他民族が支配してるとか。
どれもが事実だとしても、原因だとは思わない。
影響すら受けてない可能性だってある。
だからみんな、あんなに慌ててるのだ。
「ホテルのロビーでお茶を飲んでたら、まわりの
人たちがどうも、元気なさそうにみえて…」
この程度のきっかけで、なにげなくやってしまう
のかもしれない。
理由を必要としてるのは我々だ。
生きるのは理由を探すことだから。
自殺にも、原因があると信じたがる。じゃないと
怖いし。なんとなく嫌になった。
それくらいで、探せなくなると思いたくないのだ。

書評「お笑いと恋愛」

私ほど、軽佻浮薄な人間もいないと思ってた。
単に、流行りモノが好きなだけではない。これは
むしろ、信仰の問題ではなかろうか。
世の中には2つタイプがあって、それぞれ2つが
セットになってる。たいていの人は
できなかったこと−できること
例えば「昨日はお目にかかれず申し訳ありません」
みたいなメールを、送ってよこす。
「来週でしたら、いかがでしょうか?」
必ず、そう添えて。



でも私は有りえなかった過去に興味などないのだ。
そんな話は聞きたくない。
だいたいよく、わからくなってきてるんだし。
できる−それ以上
が、コンボだから。なんとかして、可能なことを
超えてきたい。一寸、散歩にでかけたはずなのに
途中でバーゲンにでくわし、アフガンハウンドを
買って、つれ帰ってきたい。
どうせなら毎日、このくらいの展開がほしいのだ。
いつもわくわく、キラキラしてたい。
決して強欲ではないが、貪欲だとはいえよう。
過去を魔術的瞬間と、ひきかえたのだから。



以上の世界観は喜劇に近いと薄々、気がついてた。
どこを見わたしても、気持ちよく泣かせてくれる
メロドラマの主人公ばかり。肝心の当人は悲劇を
演じてるつもりだから、よけい始末におえない。
などと思ってた先週
「The Odd One In−On Comedy
Alenka Zupancic
を読んだのだった。



筆者によると現代社会の病は、喜劇との関係を
問い直すことで、明らかになるのだという。
その代表が、ポジティブ・シンキング、ライフ
ハックのたぐいである。人は、見かけが10割。
幸せそうに見えてれば幸せ。でなければすべて
自己責任。貧乏人は、社会の犠牲というよりは
「自然に」そうなったのだ。
これがお涙ちょうだい、メロドラマの蔓延する
今の、世の中である。
「単に成功が至上命題と、化してるだけでなく
新たな『人種差別』といっても過言でない状況」
セレブvs一般人、有名vs無名
お馴染の構図。
例えば、私がどんな服を着て、なんの車に乗り
どこに住んでるかのほうが、この話を聞いてる
あなたにとっては、私のなりわいなんかよりも
ぜんぜん、重要な情報だったりする。
皆が生きざま、ライフスタイルの奴隷なのだ。
「前むきになぁれ」と呪いをかけられてるから
いつもうわべを、取り繕ってなければならない。
無理にでも明るくふるまうことを要求される中
喜劇や、お笑いの役割は換わったのだろうか?



すでに邦訳もある「リアルの倫理」で、筆者は
第1期ラカン理論の到達点、現代悲劇について
述べてた。
本作では禁断の第4期に少しだけ踏みこんでる。
この時期に言及した書籍で、英語で読めるのは
まだ数えるほどしかない。
テーマが笑いゆえ、親父ギャグとトポロジー
世界、結局はそれを語る誰もが、ドン引きされ
社会的な信用をなくしてしまう、あのポイント
オブ・ノー・リターンへ、果敢にも攻め込んで
かなくてはならないのだ。
また、メロドラマと悲劇をとりちがえる危険も
含んでおかねばならない。
そこで筆者は、クローデルではなく、古典的な
悲劇へひとまず話をさし戻し、喜劇との違いを
説いてく。



悲劇とは、欲望をもって、世の中を見る。その
やり方である。
我々がなにかを求め、満足を味わったとしよう。
満足は常に期待してたのと、どこか異なってる。
「大きかったり、小さかったり、また来るのが
遅すぎたり、速すぎたりする」
このギャップをしみじみ感じること、すなわち
欲望なのだ。
対する喜劇は、この「満足」から逆のぼりする。
「満足が、求める気持ちに及ばないのではない。
気持ちの方が反対に、満足にそぐわない」
不思議なことに、そんなつもりはぜんぜんない
にもかかわらず、われわれはいつも、結果的に
満足してしまってる。まあいいか。と納得する。
それしか術が、ないわけじゃないはずなのに。
過去を振りかえったとき感じ(させられて)る
もやもや、割りきれない想いの正体こそ
「想定すらしてなかった満足を、いつの間にか
得てしまってる」
この「異なる」という名の、過剰なのだ。



頼んでもない謎のアイテムが、4次元ポケット
から出てきて、目のまえにある。
予期せぬ過剰を表す、最も適切な例が恋愛だと
筆者はこの章を結んでる。
ノースロップ・フライも書いてるように
「喜劇とロマンスでは、物語は結婚とか恋人の
獲得の方向へ、展開する」
喜劇とは、恋愛の喜劇なのだ。
よく「2人の価値観が…」という話を耳にする。
しかしこれは本来、別れるときの台詞であって
たしかに我々は共通の趣味、食事、金銭感覚に
ついて探ったりもする。
でも条件のすりあわせが恋愛ではない。いくら
気があったからといって、踏みこえさせるには
足りはしない。それ以上の、なにかが必要だ。
「だから出会いは決して、単なる幸せの内には
おさまらない。むしろ困惑、混乱、どうしたら
いいのか、見当もつかない感情をともなう」
愛こそ予期せぬ過剰に接する、我々のやり方だ
といえよう。

 

愛は魔法だ。
すべてのマジックと同じく、タネがある。
我々はそれを、恋する2人の間に立ちはだかる
障壁のようにも感じ、相手に冷たくしてみたり
あげくの果ては、諦めたりもする。
だが筆者は、これこそがむしろ人間関係、特に
恋愛を成り立たせてるポイントだと、解釈する。
「この障壁は、例の『手が届かないから好きに
なる』ではなく、その逆で『手の届くところに
誰かを置く』役割を果たしてる」
のだという。
例えば、家同士の確執、遠距離。
2人を分かつ「条件のようなもの」が語られは
する。しかしやはり、それ以上のなにかがある。
いつまでも、どこまで話しあっても、どれだけ
見つめあっても残る、例のもやもや。
これはもとはといえば不可能だった、赤の他人
同士がなんらかの関係を持てるよう設けられた
手がかりのようなもの、なのだと。



終章で筆者は、なぜこうした誤解が起きるのか
「トラウマ」を語ることによって、説明してる。
それ以上のなにかがある。とは、これ以上先へ
進めないポイントがあるというのと、同じ。
嫌な想い出を洗いざらい、思いだしたとしても
悪夢の残る場合を、想定しとかねばならない。
見過ごしてはいないんだろうけど、それと似た
なにか、意識にすら上らなかった記憶は、思い
だすことなど不可能だから。
押入れに閉じ込められたから、閉所恐怖症です。
などとは、比べものにならない。
なにがなにと結びつくのか、誰にもわからない。
なにもないとこになにかが出現するかのように
見えたりもする。
これこそが「真の」トラウマだ。そして一般に
言われてるようなトラウマは、この正体不明の
なにかがなければ、成立しえないだろう。
「我々は、トラウマを感じるから、目を背ける
のではない。反対に、トラウマを感じれるから
目を背けてるのだ」
よくいわれるマゾヒズム(さよならだけが人生)
とは、どこが違うのだろう?



ここでこそ筆者は喜劇、お笑いを参照するよう
我々を励ましてる。その主張は明確である。
もちろん我々は、失敗をくりかえしてる。だが
「失敗をくりかえすことにすら失敗してるから
それは可能なのである。すなわち純粋な失敗の
くりかえしを邪魔するなにか、手をのばしたら
つかめそうなのに逃れ去ってしまうもやもやが
そのたびごとに必ず、出現するからだ」
おかげさまで、女王さまにムチでお仕置きして
もらったので、また明日からは、昼間は立派な
社会人の顔をして、役立たずの部下どもを叱責
できます。なんて話とは、別次元なのだ。
なぜならばこれは、因果関係を超えてるから。



そして筆者は、このなにかこそが「自分」だと
結論づける。
我々を生の苦しみから解放するなにかがもしも
あるとしたら、それは「自分」だ。瞬間ごとに
新しく、自由で、それゆえ含むとこなく過去を
見つめれるのは、他の誰でもない。
そういった意味でこそ、ジョークと自分はよく
似てるのだ。
「センスのきらめきがないとこにナンセンスは
ありえず、さらにセンスそのものが、間違いの
(失敗の)産物なのである」
そして
「真面目さ。とは喜劇を通じてしかアプローチ
できない。そうとすら言いたくなる。なぜなら
喜劇だけが我々を(セレブ、一般人のように)
構図へと還元せずに、どこでもないなにかから
自分がいつも、新たに、生まれてきてるのだと
示してる」
からである。
愛こそすべて。愛だけが自己を開示するのだと
小さな声で、つけくわえときたい。

ヲタクが死んだ日

「6号」を中心とする都市開発が本格化したのは
まぼろしの帝都オリンピック前夜からである。
戦争が終わって、対岸には、火力発電所ができた。
巨大船舶、建造の為のドックが3つ、直線道路を
挟んだ東がわには、重工業のプラント群。そして
紡績工場。
運河の向こうには、草むらがひろがり、プロペラ
小型飛行機ならば充分、離発着の可能な滑走路が
1本、南北に走っていた。
やがて経済復興もターニング・ポイントをむかえ
このドックのあたりは、首都の物流を支える拠点
長距離トラック・ターミナルへと、変貌をとげる。
滑走路奥の遊休地は、都心では珍しいゴルフ場に
かわっていた。



地方新聞社を経営してた彼の父親の悲願は、町に
リニヤの軌道が、施設されることだった。
1族は戦国時代にさかのぼる旧家で、特に鉱石の
知識に長けた、山の民である。
江戸幕府の成立と共に、彼らは絹の道をたどって
甲斐から、やってきた。共同体のボーダーだった
地にとどまり、防衛の任につく為に。
彼らのような「突撃隊」は、体制が安定するのと
同時に粛清され、没落してくのが歴史の常である。
山をつきぬけ、音速の半分で疾走する交通機関
どれほど魅力的だったかは、例えば同じテーマを
詠った「中央フリーウェイ」を聞けばわかる。
この労働歌もまた、シルクロードに纏わる伝説に
深く、かかわってる。



「不滅」の代用品。だけが、運命を狂わせる。
竹取物語における「石綿」は、望んでも届かない
たとえだった。
岩棉は人造の、火鼠の皮衣である。
アスベストと違い、玄武岩をいまひとたび融解し
織りあげてく。
件の紡績工場発行の社史は、高らかに宣言してる。
永遠を所有せんとしたプロメテウスにふさわしく
開発初期、製造炉の寿命は8時間だったという。
燃えさかる欲望の跡地には、地方からの労働者を
うけいれる為に、公団住宅ができた。



いかにも近代主義者らしく、漱石は「こころ」で
殉死を、林檎の芯に似た「モノ」として描いてる。
昭和と平成の境目にも、年ごろの娘たちが忽然と
この世から連れ去られてくという、事件がおきた。
最後の1人は5歳にして、この団地から消えた。
ゴルフ場は84年に栃木へ立ち退き営業を続けた。
会社更生法の適用をうけたのが先日である。




(mixi日記・2006年11月23−24日)