ヲタクが死んだ日

「6号」を中心とする都市開発が本格化したのは
まぼろしの帝都オリンピック前夜からである。
戦争が終わって、対岸には、火力発電所ができた。
巨大船舶、建造の為のドックが3つ、直線道路を
挟んだ東がわには、重工業のプラント群。そして
紡績工場。
運河の向こうには、草むらがひろがり、プロペラ
小型飛行機ならば充分、離発着の可能な滑走路が
1本、南北に走っていた。
やがて経済復興もターニング・ポイントをむかえ
このドックのあたりは、首都の物流を支える拠点
長距離トラック・ターミナルへと、変貌をとげる。
滑走路奥の遊休地は、都心では珍しいゴルフ場に
かわっていた。



地方新聞社を経営してた彼の父親の悲願は、町に
リニヤの軌道が、施設されることだった。
1族は戦国時代にさかのぼる旧家で、特に鉱石の
知識に長けた、山の民である。
江戸幕府の成立と共に、彼らは絹の道をたどって
甲斐から、やってきた。共同体のボーダーだった
地にとどまり、防衛の任につく為に。
彼らのような「突撃隊」は、体制が安定するのと
同時に粛清され、没落してくのが歴史の常である。
山をつきぬけ、音速の半分で疾走する交通機関
どれほど魅力的だったかは、例えば同じテーマを
詠った「中央フリーウェイ」を聞けばわかる。
この労働歌もまた、シルクロードに纏わる伝説に
深く、かかわってる。



「不滅」の代用品。だけが、運命を狂わせる。
竹取物語における「石綿」は、望んでも届かない
たとえだった。
岩棉は人造の、火鼠の皮衣である。
アスベストと違い、玄武岩をいまひとたび融解し
織りあげてく。
件の紡績工場発行の社史は、高らかに宣言してる。
永遠を所有せんとしたプロメテウスにふさわしく
開発初期、製造炉の寿命は8時間だったという。
燃えさかる欲望の跡地には、地方からの労働者を
うけいれる為に、公団住宅ができた。



いかにも近代主義者らしく、漱石は「こころ」で
殉死を、林檎の芯に似た「モノ」として描いてる。
昭和と平成の境目にも、年ごろの娘たちが忽然と
この世から連れ去られてくという、事件がおきた。
最後の1人は5歳にして、この団地から消えた。
ゴルフ場は84年に栃木へ立ち退き営業を続けた。
会社更生法の適用をうけたのが先日である。




(mixi日記・2006年11月23−24日)