−1985−

「こりゃまたずいぶん、すっきりしましたね」
「でしょう?180。とまではいかないけれど
120はあるかな」
そう言って、百田さんの小父さんは両腕を広げ
まるで数十年ぶりに再会した友人を抱擁せんと
待ちかまえるみたいに、角度をつくってみせた。
連休に宇田川さんのとこへ東京から若衆がきて
東がわ斜面を半日かけ、伐採したのだ。
長生きしてよかった。って感じですか?」
尋ねてみた。
「大パノラマでしょ。いっきに景色がひらけて」
あたりの森は全て、人工である。最後に植林が
なされたのは、石油ショックちょっと前。この
ゴルフ場開発と、ほぼ同時期だ。
赤マツは主に一戸建ての梁、カラ松は湿地帯へ
打ちこむ杭として、需要があったのだという。
手入れをしないと、どちらも年間1M弱伸びる。
百田さん家は別荘地の境界に建ち、斜面は村の
ひとの所有になる。このくらいの長さだと当時
3万にはなった。現在1本5000円(作業別)。



「建てた頃はねぇ、こんくらい抜けてたんだよ。
それがすっかり埋もれちゃって。またこうして
眺めがよくなるなんて、夢みたいだ」
今朝までは20M先も、透きみるしかなかった。
それが視界、はるか15KM。左右は20KM。
「こっちの山も神秘的なんだよね。八ヶ岳とか
浅間山とかも結構なんだけど」
展開するのは最大2000M級、東信の山々だ。
手前左から1718M、その奥には2112M。
すぐ右となりが1631M、1620Mの峠を
はさんで1822Mと1882M、1851M。
裾野へ続く1000Mのプラトーは、60年代に
発見された最も海から遠く、高い、縄文時代
遺跡群で、知られてる。
「今日なんかほら、緑のジュウタンなんだけど
雨がふると水墨画みたいでね。最近じゃ呑むと
寝ちゃうから、朝が早くて」
小父さん曰く、あの山の向こうから太陽が昇る。
それがたまらない。どうしてもまた見たかった。
「山頂へんのあれって、鉄塔ですか?」
「高圧線だね。柏崎から東京へ電気を運んでる。
前はあったかなぁ。いつごろ立ったっけか…?」



「肝心のあなたは?おいくつになったの今年?」
小母さんが、わって入ってきた。
百田さん家は、小母さんのお父様が、下の町の
顧問弁護士をされてた。その関係でこの山荘が
あるのだった。
「いくつって…」
未確認だが、百田さんの息子さんは私と同い年。
結婚後1年たらずで妻が失踪。息子さんも今は
どこへ消えたか、わからない。噂では北海道の
牧場から葉書がきたとかなんとか。恐ろしくて
誰ひとり話題にできず、ウラがとれてないのだ。
黒柳徹子と同い年くらい。ですかねぇ」
「80すぎてるって言いたいの?」
そうじゃなくって、年齢不詳くらいの…。
「それじゃ弟さんとは、いくつ離れてるのよ?」
「どんぐらいでしたっけ。」
「やだ。家族なのにそんなことも知らないの?」
眺望と、あまりに対照的な話だった。
「で?実際いくつなんですか?ウチの弟は」
「やだあなた。ほんとに知らないの?」
「知らないから聞いてんじゃないですか」
「どうしてあなたも知らないことを、この私が
教えなくちゃいけないのよ?」
「まったくねぇ…」



「じゃあれ?」
そう言って小母さんはつかの間の笑いを遮ると
とある、地方都市の名をあげた。
「新橋芸者あがりってことくらい知ってますよ。
ご多分にもれず、ね」
今や小父さんは白樺の手いれをはじめ、2人は
それぞれ、かなたを見やってる。
そういえば、あすこらの山は、全国でも珍しく
なんでこんな漢字が充ててあるのかわからない
そんな山が3つも、かたまってるんだったっけ。
「教えたげる。弟さんとはね…」
そんなもんだったんですか?もっと離れてると
ばかり、思ってました。
つまり、べつの、文化体系の産物。ってわけだ。
ナゾなんだな。たしか難読山とかいうんだっけ。
秘密にしてあるんだ。誰もこの3つに「御」と
つくのか、説明できないんだからな。うっかり
すると楽勝で150年くらい生きてきたように
錯覚するけど、全てが明確にはなりようがない
ってことなんだろな。
もちろんなにも、隠れちゃいないんだろうけど。
「あたし、今でも覚えてる。あの日、あの山の
向こうが夕焼けみたいに、真っ赤になってた。
ずっとマージャンしてたの。暗くなったなって。
そしたら夕暮れが2つあった」