サイレント・マジョリティ

村から政治犯で逮捕者がでたらしいので思い出を
語っておきたいと思う。




なぜ10月の「犯行」なのに今このタイミングで
捕まえるの?
という感想を多く見た。
いやがらせだろう。
「21日の東京ドーム。いけなくなっちゃうよ?」
こんな感じでやんわり、脅されてるはずだ。
年末紅白カウントダウン初日の出お正月を娑婆で
過ごせなくしてやってもいいんだよ。というのは
善良な日本人にとっては、かなりの重圧だった。
「もう素人感覚じゃすまないよ。遊びでやってん
なら引き返せるのはいまのうち」
覚悟を問われてるのだ。
もっとも、覚悟したらどうなるという話でもない
のだけれど。




不当逮捕じゃないの?
沢山のひとが言ってる。
ただし、これは伝統的な左翼の歴史観からすれば
誤った問題のたてかたでしかない。
表現の自由の範囲内か否か」や「逃亡の恐れも
ないのに…」や「通行して何が悪いんだよ」的な
話は全て、現行法をその価値基準にしてるから。
そもそも監獄を、悪いことしたひとを懲らしめて
社会復帰させるステージとしか捉えれてないから
こういう勘違いをする。
刑務所と善悪は関係ない。
塀の中とは、あくまでもそのひとを1時的に法の
保護下に置き、他の社会の成員からのいわれなき
中傷を避けるため、隔離する場でしかないのだ。




私はニュースをきいて当然だとしか思わなかった。
本人も十分に予想できてたはずだし、もしも何の
むなさわぎも覚えてなかったとしたら、政治的な
センスを疑われても仕方ないとこだ。とすら思う。
というのも巷では憲法改正
「権利と義務はセット!」
が吹き荒れてるから。




私は下地さんに1どだけ、お尋ねしたことがある。
どういうニュアンスで、きいたかは忘れたけど
たしか「あなたにとって労働とはなんですか?」
「働くってどういうこと?」
ニート感全開だったはずだ。
おこたえは
「義務ですかね(労働は)」
だった。
それをきいて私は笑ったのである。
「労働が義務だってよwww」




いまでもたまに、こころある方からお叱りを頂戴
する機会があるのだけど、私は「できることなら
のんびり、楽してくらしたい」としか思えない。
もちろん新作DVDとかショート・トレンチとか
マイアミの別荘とかを切望してやまない(野心は
ある)のだが…欲望だけが私をこの世に繋ぎとめ
といてくれてるのであって、面倒はこまる。
故障の多い中古イタリア製自動車に手をだしかね
てるのと同じで、「義務」は私にとって完全なる
謎ワードでしかないのだ。




片山さつき議員を非難するひとは、こう言ってる。
「義務を果たさない者に人権を与えないだなんて
ひとでなし」
と。
でも、権利が紐つきでなくなって、社会から何の
拘束もうけなくなって、人間が自由をかちとり
「その義務は私が私に対してだけ責任を負う義務」
になってしまうと、それはもはや義務でなく倫理
すなわち「自己責任」でしかなくなってしまう。
タバコのぽい捨てしてるひとに幾ら「自然」権を
説いてもムダなのだ。
そして仮に明日世界中の原発が停止したとしても
歴史の針はもどらない。天然と養殖の違いを議論
してるわれわれは
「自然…ってなんですか?」
な状況は変わらないのである。




私にとって「義務」が、おしつけがましい得体の
知れない脅迫であるのと同様に、片山議員にして
みれば「人権」が謎ワード。
現代人は謎ワードの奴隷だ。
かつては下地さんみたいな社会主義者こそが
「権利と義務はセット」
と言ってたのである。
これは「金持ち許すまじ」的ニュアンスだった。
そっちの方向からの反原発はムリだよ、とも思う。
少なくともいま話相手してほしがってる人たちは
「モノを盗るつもりで侵入しました。騒がれたら
殺してやろうと思ってホームセンターで包丁を…」
みたいな、本音とまではいえないがハードコアな
トークを日々きかされてるから、誰をみても
「自分にはないいきいきさを感じたのでは?」
と意地悪になってしまいがちなのであって、その
「労働は義務」も、しばらくは有閑階級の戯言と
しかとられないだろう。