鏡 (id:suekichi-sunへ)

たぶん私が日本で1番、早くマッキントッシュ
文章を書きはじめたひとりなのだと思う。機種は
SEだった。
そのころはまだ、ほぼ100%の人が原稿用紙の
マス目を手で埋めてた。あと取材のときは、必ず
メモ帳を持参するよう、教わった。私も、最初の
1どだけ、あの200字ヅメの紙に鉛筆をもって
むかったことがある。
ところが私は、漢字がぜんぜん書けないのだった。
きっと小学生にも劣るだろう。なにが第1言語か
うやむやのまま、育ってしまったせいに違いない。
おまけに手も小さく、字もきたない。取材メモを
見かえしても、判読できたためしがなかった。
「マズいよなぁ…どうすんの?」
と、よく冷やかされたものだった。お払い箱寸前
だったのかもしれない。仕方なくインタビューの
際にはテープをまわさず、全て覚えるようにした。
しかし問題は原稿だ。



幸いにして読んではいたから、認識だけはできた。
今から考えると信じれない話だが、ちょうど電子
音楽が出始めのころ、人間が演奏してないがゆえ
「魂がない。こころがこもってない」
みたいに貶められたのと同じように、文章を書く
とは即ち、筆先と頭脳との運動による交流であり
その作業においてのみ、真理は開示される。的な
俗説を、大半の人々が盲信してた。
要するに機種依存が、甚だしかったのだ。



大部屋の中に、1台だけ親指シフトがあった。
この富士通ワープロは、主に「書き直し」用だ。
なんたって、ろくでもない連中に原稿を依頼する
のだからして、まともな文章などあがってこない。
ほとんどをリライトする帰結となる。校閲の信任
あついYさんという先輩が、締切りの前になると
24時間体制で、ディスプレイを見つめてた。
通常どんな原稿もできあがると校閲が読み副編が
読み副々編が読み、で内容に問題がありそうだと
総括されると編集長に呼びだされ、小言をくらう。
そのくりかえしだった私にしてみれば、Yさんの
仕事ぶりは、パガニーニを聴くような経験だった。
そのままノーチェックで印刷屋へもってけるのだ。
つまり3日は余裕ができる。
3日間遊んでられるのである。これは真似しない
手はないと思った。そんなこんなで、そもそもは
日本語能力の欠如からはじまったデジタル入力の
けもの道を、歩いてく運びとなったのだった。



最もわかりやすい例として、まず雑誌をあげたい。
どんな雑誌でもいい。手にとって欲しい。文章が
写真やイラストに挟まって、ひとつのブロックを
25字×40行×4段のように形成してるはずだ。
しかしこれは、400字ヅメ10枚とは全く違う。
原稿用紙スタンダードだと、20×20×10で
依頼するしかない。
他に基準がないからである。
だが、この「原稿」は上記のブロックに、絶対に
きっちりおさまらない。
原稿を頼むのはぎりぎり締切りの2週間まえ。
ページのレイアウトが決まるのは、もっとあと。
必ず、足りないか余るかする。文章かデザインの
どちらかを、または両方を修正せねばならない。
机の脚を1本々々切りおとしてって、長さを調整
みたく、いつも非人間的に振るまってるのである。



大部屋の隅、デザインチームが陣取ってるわきは
昔は盾の会メンバーだった、というカメラマンや
秘書というは名ばかりで、実のとこは他の会社の
編集長の妾、要は預かりもんの妖艶なお姉さんや
副業は鉄板でアレに違いない、サンフランシスコ
からきたヒッピーくずれの通訳なんかが集ってた。
そこに当時としては最新鋭の30が、インテリア
として飾ってあったのだ。



それまでも、たしかに
「400字といわれたら、381でも399でも
なく原稿用紙いっぱい。きっちり400字書いて
わたす」
のような伝統はあった。
またごく1部においてはレイアウト先行、つまり
あらかじめフォーマットの決まった面の何処かに
文字をおいてく。そんなパターンもありはした。
しかし今や、完成形を鏡像としてイメージできる。
能率は飛躍的にあがった。
デザインさえ判明してれば、2週間はかかってた
作業が、ほんの数日で済むようになった。
ここにおいて「原稿」という概念は消滅したのだ。
あるのはただ、無限に反射する鏡の間だけ。
余り調子にのりすぎて、気がついたら1冊の雑誌
7割近くを自分で書いてたこともある。
単純にそのほうが、他人に頼むより早く、遊びに
いけたから。なのだけど。



デジタル革命は、第2のグーテンベルグである。
なぜならば、私のやってきたことは、それまでの
基準では「にせもの」だから。
例えば私が日記を書くとき、イメージしてるのは
岩波の新書版の漱石全集、日記編だ。
24字×18行×2段となる。
このフォーマットがワードに入ってる。
ワードさえあればいい。プリントアウトして漱石
全集の表紙をつければ、シミュラクルができる。
見かけは完全に岩波なのだが、中に入ってるのは
私の記録。
「原」という概念は、常に問題を含んでる。
ものごとには確たる原因などありはしない。
これまでのように、本を作る際
「無から有を生み出す」
物質化の苦労など、もうしないで済む。お好きな
形式だけを、巨大なアーカイブから借りてくれば
いいのだから。
これは偉大なる解放である。