後期恋愛資本主義

ちょっと前からふりかえってる80年代の流れで
ETV「絆・恋愛至上主義のはてに」を見てた。
まことしやかに世界の滅亡が囁かれ、郷ひろみ
渋谷の路上で無許可で歌い、美容師がカリスマと
呼ばれはじめた年の夏に、放送された番組。
焦点となってるのは石油ショック以降、性革命と
政治の理想に挫折した人々が、より内向的になり
恋愛や同棲へと救いを求め、それが個人主義への
道をひらき今へいたるという、現代日本人の感情
教育の歴史である。
いわゆる恋愛マニュアル文化において、いったい
我々はどんな行動原則のもとに、苦しみの周りに
夢という名の繭を、つむいできたのか。番組では
同時期を代表する恋愛の教祖−松任谷由実の歌と
それらに影響をうけた人たちのコメントを通じて
時代精神をさぐってく。
しばしば「ベタ世紀末」と形容される21世紀の
プロトタイプだった、あの年。社会のあちこちが
悲鳴をあげてた。でも口調や表情は、明るかった。
特に地方でのロケに、如実に顕れてた。
愛を信じ郷里にとどまったり、いったんは都会へ
でたものの、なくしかけてた憧れを取り戻せた。
もう無理だ。今やこんな景色は、どこにもない。
誤解を恐れずいえば日本人なんて、いなくなって
しまった。
すくなくともぼくの目には、この瞬間でもきっと
どこかで暮らしてるだろう彼らが、同じ人たちと
思えない。別人だと信じるだろう。替え玉とすら
妄想するかもしれない。
人々は未来への希望を、語ってるのである。



とある識者も、持論を展開してた。
「14ばんめの月が好きだ。あとは欠けてくしか
ないからだ。まるで新古今の世界だ。今の若者は
貴族ですよ。でもなにかをひきかえにした底には
巨大な喪失感が…」
ちがうだろ。と思った。それは甘い。なぜならば
喪失感は甘さをも与えうるから。ぼくが見てきた
人たちは、みんな形容しがたい不安をかかえてた。
鍾乳洞の迷宮を手さぐるほど盲目だった。
「人間はどうせ、自らの利益でしかうごかない」
大半の人がそう叫んでた。どれだけ不利な発言か
思いよらずに。喪失感そのものを失ってしまって
なければ、ここまでは堕ちない。
理由のみつからないため息のみが不安をよぶのだ。
我々はこう教えられ、育ってきた。
価値観を最大標準化せよ。自分を売りものにしろ。
なるべく高く売れ。1番大切なものから売れ。と。
そこで我々はカルチャースクールへ通い、TVの
スイッチをひねり、最近ではネットを立ちあげて
新製品と命をひきかえてくれるクーポン券を探す。
これこそが人間の市場化、物象化、恋愛市場主義。
しかし語られてきたどれもが嘘なのだ。村の経済
コドモ銀行のレベルなのである。
まるで同じ価値観をもった人間同士が等価交換を
なしとげてる。これが愛の理想と説かれてるのだ。
金持ちはどんどん大金持ちになってき、貧乏人は
ひきはがされてく。
ぼくの視界には、そんな姿しか入ってこなかった。
我々は持ってるものばかりか、もってないもので
すら売るように強要されてる。嘘ではなくうそに
なるのだから、今だけは。と囁かれて。
この強欲さは−あえて強欲と呼ぶが−その年齢が
幾つだろうと、彼ら彼女らが本来もちあわせてる
つつましやかな春をひさいでる者たちがこの世で
最も良心的な人々に見え、余りの馬鹿バカしさに
手をふれる気すら、なくさせるほどなのに。



革命とはなにかが起こった結果、以前が想像すら
つかなくなる事態をさす。
フランス心理小説を読むと、こう思う。なんたる
アナクロ。家と家のむすびつきがあって愛が並立
してるわけか。で?これはギリシャ時代の知識人
みたいなもので、とすると全てのひとが必ずしも
当てはまるとは言えない部分が…?
早速わからなくなってきてる。
ところが近ごろ耳にするのは
「それじゃお互いが輝いてらんなくなっちゃう…」
わかるよ。とは相づち打ってる。しかしほんとは
思ってる。セレブのいいぐさだな。
どいつもこいつも芸能人の恋愛みたいな口ばっか
ききやがって。要はお前も人気が最優先なわけだ。
座敷へ声がかからなきゃメシのくいあげだからな。
そんな中へいてぼくの生活は、すっかり破綻して
しまったのだった。前は生活といわれてもなにか
不明だった。とうとう1どたりともつかめぬまま
だんだん地球が、狭くなってく。どこのホテルの
ダブルベッドも交換可能に感じる。ふとした瞬間
くらやみで、己のGPS座標を失ってしまうのだ。
どのページをめくっても、だれの日記をクリック
しても、針ネズミのように他人を威嚇してる。
見ちゃおれんな。と思う。目をふさぐ。ますます
闇が友になる。
ここぞとばかり隙を窺って、街を闊歩してるのは
分身たちだ。
「最近はどの女に食わしてもらってるの?」
10数年ぶりにあった美容師に開口1番いわれた。
お世辞とはいえ、ひどすぎる。
それいうなら「どんな」だろ。とは思ったものの
先方の、それこそ30近く年長のイメージに棲む
ぼくのいくばくかは、こういう類いの人間なのだ。
あんないうなんて許せない。もういい。どっかに
誰かあたしだけを愛してくれるひと探してみせる
(あたしは浮気するかもだけど)。
帰りに立ちよったクオーターパウンダーの地下で
ひとりがけのLC2へ背中をおしつけ、毒づいて
みたものの、はじまらない。なんたってみんなに
ちやほやされたいだけなのだから。
番組が放送されたのは、IT革命の年だ。きっと
性革命と匹敵する断絶があったのだ。
革命が頻繁に起こりっこないのも知ってる。
既に過ぎ去ってしまった革命を、今かと心まちに
してる人、つい直近の過去を未来の希望のごとく
語りかけてくる人も山ほどいた。
今年はそんな年だった。