短刀(ダガー・ナイフ)

歴史を止めれるのは、ムラーニャの短刀だけだ
その名に恥じぬ、輝きを放ってみせるといい
                −ボルヘス



ボルヘスの「叙事詩」とは、たとえば上記の様に
主人公が人間でなく、ナイフに代表される「物」
だったりする説話体系をさす。
ひとかたまりの鉄が、刃へと鍛え上げられ闘いへ
赴き、打ち棄てられ、時を経てまた歴史を作る。
最終的には人智を超えるのは、美しき魂でも偉大
なる精神でもなく不可思議な物体、即物なのだ。
東京に戻ってきてからも、暇な時間をみつけては
「ロシヤ年代記」をめくってる。
この論法でいくと、年代記の主人公はブロンドの
騎士たちではなくロザリオである。
ほぼ1ページに1回は、彼らが「十字架に口づけ」
するシーンがでてくるのだ。
年代記は正史だから、いってしまえばえげつない。
マイケル・ジャクソンのPVみたいにてんこ盛り。
(教化のためだからして)とりあえず今、使える
テクニックは全て入れときましょう。的な感じが
漂ってくる。
ロザリオへのキッスは、絶対の誓いとされる。
破ったりすると街中のマリア像が涙をながしたり
するのである。
それも、女の涙の中で1ばん、恐ろしいとされる
究極の自分のための涙、おのれ可愛さに泣く、
「あんたらが悪いんだけど許したげる」
という、容赦の涙なのだ。



「ナイフを規制するなんて、あまりに馬鹿げてる」
そんな話しか耳にしないのは、何でだろう?
もしかしてまた叙事詩が、私たちに復讐してくる
のが21世紀だったりはしないのだろうか。