適材適所のユートピア

ある人々が、社会の中で果たしてる役割に比べて
高い地位や待遇をうけるのは、他の人々に、その
役割よりも低い地位と待遇を与えることによって
初めて、可能となる。恵まれた境遇にある彼らは
それだけで、他の人々の利益を侵してるのだ。
相対的な地位と待遇が低いほど、人々は、社会の
発展に関心をもたなくなる。
反対に、役割に応じた地位と待遇とをうけるとき
人々は、他人の利益を侵すことがなく、お互いに
尊重しあうようになるだろう。
つまり人々は、その役割が正当に評価されるほど
社会の発展に、大きな利害関係をもつのである。
そのような社会では、生産性は急速に増大する。
搾取社会は、勤労大衆に属している多くの人々に
能力を十分に発揮できない役割しか、与えない。
特権階級にそれ以上の社会的評価を与えてるから
である。
役割の分担を能力にあわせ受け、適材適所で働く
ようになってこそ、十分に自己を発揮できる。
したがって、人材を埋もれたままにしておくのは
大きな損失なのだ。
また、人々の間に、役割をよりよく果たすための
競争を許容し、成功した人の要求と利害関係とが
実現されてこそ、創意性が十分に発揮される。
「主体的視覚からみた生産力発展の一般的法則」



最近、寝るまえに読んでる北朝鮮関連の思想書
じつに面白い。まるでよくできた人文系ブログの
日本改革処方箋を見てる様で、笑いがとまらない。
ライフハックだの業界再生だのの妙案の元ネタが
それこそ、いたるところに転がってる。
たぶん意識してないのだと思う。知らずしらずの
うちに彼らは、キムチ帝国の手先となってるのだ。
それが同じくちでTBSを攻撃したりしてるから
全く罪のない話である。



しかし私としてもこれまで不勉強で、目から鱗
おちる感触はあった。
なにせ神秘主義者なものだから、唯物論ときくと
「いいですか。神さまなんていないんですよ」
くらいのニュアンスでしか捉らえてなかった。
これじや不十分だというのだ。つまり未だ否定の
レベルにとまってる。
階級闘争とは常に経済問題である。要は唯物論
つきつめると、人間関係とはすなわち、利害関係。
こころじやないよ損得だよ、ギブアンドテイクで
恋愛資本主義な世界に、親和性が高いのだと。



もう1歩ふみこんでしまうと、あの日蓮カルトと
似てたりもする。
高度経済成長下の、自由主義における形而上学
帝国主義に対抗するかたちで、半島に形成された
唯物論とが鏡のうらおもて。
これはただ、阿修羅な人たちが必死に訴えてきた
電波だったりはするのだが。



いずれにせよ白雪姫25人とは、そろそろ演劇と
いうより、マスゲームに近いのではないかと思う。
その役が仮に適任でさえあれば、一切の歴史的な
制限なく、わりふるべきであるからだ。