従順な地震兵器

田村の餌箱で拾ってきた「冬」グリーゼ著を読む。
去年、装丁違いをみるため揃えた、昭和十年代の
「随想録」巻末広告に
「現代ナチス文学の代表的傑作訳業成る!」
としてあって、気になってたのだ。
高校のとき愛読してたユグナンに最も近いものを
感じた。
なぜユグナンが「呪われた作家」といわれてたか
なんとなくわかった気がした。



去年のいまごろはまだ
「あそこはアイポッドのスピーカー作ってる会社
だから、株かっとくと儲かるよ」
みたいな話が、全くそんなものに興味のない私の
耳にも入ってきてたのかと思うと、感慨ふかい。
もうだれもくちにしない。
いい気味だと思う。
じっさい問題、いい学校を優秀な成績で卒業して
だれもが名前を知ってる企業で高収入、プライム
アドレスに家をかまえて…
みたいな、盤石に思われがちなライフスタイルが
どれほど危険なものか、世の中の大半はあまりに
無知である。
能力さえあれば、それは皆が求めてるものだから
手にいれることさえできれば、あえて選択自体を
問い直すことはない。レストランで
「1番いいワインもってきて」
と頼むようなものだ。
しかしこの手法は、社会慣習を真面目にうけとり
かつ、自らも社会に全幅の信頼をおいてるが如く
ふるまう必要がある。
自分の想像を超えるシステムを愛し、信じ、身を
捧げれば当然、儲かるだろう。
見返りは充分、期待していい。
しかし、どこかで誰かが今日も頑張って働いてる
のだから、俺にもチャンスがきっとあるはずだと
いうライフハックを信じるのと、911は陰謀だ
と信じたり、催眠術で人材開発できると信じたり
するのは、はあちゅうを見るまでもなく、延長線
上にある。
つまりベンジャミン・フルフォードさんみたいな
ひとこそが、やっぱり子供には1流の学歴が必要
と偏屈に思いこんでる30代マダムの、最大の友
理解者なのだ。
特に景気がわるくなったときにあらわになるのが
こうした盲信の構造である。



ちまたの話では、任期満了を迎え、なにか歴史に
足跡を残したい、とするブッシュ大統領の意向が
テロ指定を外させたと、言われてる。
しかしどうせ報道されないだろうから書いとくと
今日は、対テロ戦争アメリカが負けを認めた日
世界に対して、それとなくアピールした日なのだ。
これに続くのは敗戦処理で、もちろんアメリカも
それを期待してるのだが、どうかとも思う。
人間、やられるときはとことんまでやられるのが
ケンカの常だから。
もうひとことだけ言っとくと、ハイジャックとか
拉致被害者とかそんな話でもぜんぜんない。
日本も北朝鮮に負けたのだ。
たぶんほとんどのひとはそこまで自覚がないはず。