光速度文化

オヨヨ書店に頼んで市場で落としてきてもらった
雑誌「ぴあ」バックナンバー10年分ほぼ揃いが
届いたので、読みはじめる。
流石に東京では精神的にキツいし場所もとるので
広げる気にならない。
87年くらいまである。積み上げると1メートル
以上になるのではないかと思う。
確か当時は首都圏だけで50万部は売ってたはず。
GLAYのコンサートパンフくらい刷ってたのだ。
しかしそういうものほど、残らない。私も揃いを
古本屋の店頭で見たことない。



とにかくたいへんな情報量でいつになったら読了
できるのか、めどすらたたない。



ひとつ気がついたこと。
80年代はやはり「ビデオ」の10年である。皆
鬼のように、ホームビデオにリアルタイム情報を
ストックしはじめてる。
いわゆる「映画」は、はっきり頭うちな感じだが
80年代終わりと、10年まえのそれを比べると
「ぴあ」の厚さは1.5倍強まで膨れ上がってる。



もしも我われの文化が超巨大な集合無意識という
ハードディスクだとしたら。
「80年代から先はパクり。新しいことなし」
といわれるのも仕方ないと思う。
もうディスクがいっぱいいっぱいで、まずは何か
消去しないと入らないのだ。
というかその前に、まずは歴史の餌箱を掘らねば
ならない。それもせいぜい3倍速で。
子供の1年と、老人のそれを比べるようなものだ。
体感時間は、光速度で過ぎてってしまう。
面倒なことは諦め、何も知らない動物化のほうが
楽だと判断したからといって、誰に責められよう。
心象風景はとっくに「未来少年コナン」なのだ。



ハードディスクつながりでもうひとつ。
ウインドウズXPは確か2G空きがないと正常に
動かないのだった。
だが調子にのってP2Pで動画をダウソしてると
あっという間にハードディスクは満杯になる。
半ば強制的に保存されてってしまうのだ。
予め、そんなお気に入りでもなかった動画を削除
しとかねばならない。
PC立ち上げたらまず削除。
これがどっかで上手くいかなくなったのが前回の
三島由紀夫の自殺なのではないだろうか。
つまり三島は、自らの創作技法について語るとき
脳内をハードディスクにみたてた、ファイル交換
ソフト的使用について、警鐘を鳴らしてたのだ。