「軍の関与」は「隊長命令」か

三島由紀夫は、己の誕生した瞬間の記憶があると
いってたそうだが、私をはじめ凡人は、おととい
食べた晩御飯も、はっきりしないものである。
可能なかぎり時をさかのぼると、個人的には3歳
くらいだろうか。中庭へ遊具がわりに置かれてた
ポインター号が、本物なはずなのにTVと違って
座席がなく、板敷きへ改造されてたのが、まるで
お座敷列車のように、衝撃だったのを覚えてる。



とはいうものの、どうやらここは滑りどめだった
とかで、親の話ではたいそう立派なミッション系
幼稚園にみごと、落ちてるのだという。
祖母の親友だったという、面接官の尼さんに
「ここに入って、楽しくやりたいですか?」
意志を問われ
「たのしくない」
と、言ってのけたらしい。さらには
「そんなしないで。向こうでみんなと遊びましょ」
5分くらい、懸命にとりなしてくれたというのに
「遊びたくなんかない」
頑なだったと伝わってる。そればかりか
「そのカオがいや」
つまり、貴女が神だと信じてるのは己の罪悪感を
他者に投影してるにすぎないのでは? みたいな
捨てゼリフまではき、祖母の面子を潰したのだと。
今、思えばただ純朴に社会へつかえてた人たちだ。
悪魔があらわれたと受けとられても、しかたない。
全く罪つくりとはこのことである。
思いかえすたび、火がでるほど恥ずかしい。



ちょっと待った。
これはあくまでも、そういう話になってるだけで
私の歴史観では1ヶ月前の、昼ご飯と同じ扱いだ。
なにかと派手めな粗相を私が、くりかえすと必ず
「あんなに強力なコネがあったってのに…だから
あいかわらず…」
反復されるエピソードゆえ忘れてるにも関わらず
ようは2重に、書きこまれてしまってるのだ。
この0記憶のどんなディテールが、現在の性癖に
シークレット・ハイウェイでつながってるのかと
考えると、おちおち夜も眠てられない。
そんな難しい解釈、以前に、この話さえなければ
どんなにか人生、楽だろう。
せめて嘘だと言ってくれ。
じつは協調性に欠けるなんてこと、なかったんだ。
それだけで今から、エグゼクティブ街道を進める。
問題はやればできるではなく、やる気なのだから。



地裁判決は、そんな私には複雑だった。
歴史修正主義者たちの、本当の目的は
歴史修正主義とはなにか?」
そんな抽象論による、暇つぶしである。
なぜなら私も、例の件では立派な歴史修正主義者。
私的領域では誰もが、歴史修正主義者なのだ。
そして公私を分けることほど、難しいものはない
のである。



愛国心は学校教育で。
しかし、どうやって採点したらいいのか。
この難問について文部科学省に1つ、提案したい。
オフクロのアソコが、テメエの頭が抜けれるほど
ユルかったと、はっきり卒業式で公言できるなら
満点をやってもよいのではないか。