おいしいひつじ

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市民ホールの2Fは、天井が低く、やけに明るく
存在を感じさせないくらい空調は、完璧だった。
3列に分けられた黙座は、向かって右から、親族
関係者、一般である。200名ほどが臨席するに
至った左翼は、15分前には2人しかいなかった。
うちひとりは、関係者代表で弔辞を述べるはずの
Sさんの「女房の妹」なのだという。
「コイツはよ、俺のこと悪い奴だと思ってっから」
とだけ言うと、Sさんは中央の最前列、カリスマ
シェフと代理店取締役の間、いつもの位置へ戻り
両足をなげ、ガムらしきを、もぐもぐ噛みだした。
曲録と差しになるよう、積まれた黒塗り電報の山
メディアクリエーターとか、独立系女子アナから
よせられた名札を眺めながら、ずっと考えてた。
なんであんな紹介になってんだ?
そして訃報を拾ったのは新聞でも、くちコミでも
なく、流し読んでた新着のブクマの中に落ちてた
からなんだよな、と思いだしたりもしてたのだ。



やがて香木も焚き終わり、入り口脇で待ってると
見慣れた顔が、喪服の群れからつきでてた。
「またずいぶん、きょうしぜんとしたもんだな」
「え?」
「教・師・然」
Mはまず、そうかもしれないな。といった風体を
装ってみせ、それから何処か納得したかのように
細めなネクタイを、絞めるでも、緩めるでもなく
動かした。
10年ぶりのMは、容色や姿態は、あいかわらず
実年齢からひとまわり、若く見えてはいたものの
襟首から項にかけて、まるで従順な娘が老けてく
みたいに衰えてた。壇上から女共に芸を教えこむ
という、およそ今生にはこれを凌駕する不条理は
ないこと鉄板な業務に、長年、従事してた宿阿が
教育てき指導に化身し、現象面へと顕れてるのだ。
「ネットでブログをやっててさ、たしか7日まで
何事もなかったように『浜崎あゆみがどうの』て
いつもの病気自慢してんの。突然だったんだなぁ」
「なんか月刊の?競馬新聞の編集長をひきうけた
ばかりて聞いたけどな」
だいたい去年の夏あたりから、景気が後退してる
んだし、そういう曲面では本来、身辺を整理して
なるべく暇になっとくべきだろ?
「ようは2度めのバブル崩壊に耐えらんなかった
て解釈にもなりつつあるわけでさ。」
すると
「物のみかたもあるのかね・・」
把握しかねるといった雰囲気だ。
「なんと!もうその手の感覚はとっくに失せたか」
小さく驚いてみせると
「いや。もともとあんまないんじやないかと思う」
ようやっと、互いに目を合わすのもためらうほど
親しかった頃が、戻ってきた感じがしたのだった。



喪主あいさつが始まった。
だいたい電話で方々から、聞いてた通りだった。
最近は競馬のほかに、サッカーにも、ハマってて
インドネシアへ3週間、行ってたばかりだったと。
8日の夜、新年会で新宿へ。
「美味しいヒツジを食べてくるから」
と出かけてき、羊がでてくる前に倒れ、そのまま
意識が戻らずに、翌朝、亡くなったのだ。死因は
脳出血である。
「ここにお集まりの皆さんの中には、主人と宴を
ともにし、迷惑を被った方も多いんじゃないかと。
あの通り寂しがりやでした。なにか呑まれる機会
でもありましたら、思いだしてくださると主人も
きっと、喜ぶはずですので・・」
とそんな話を耳にしつつ、そういえば知り合いに
昨年夏、仕事をやめたのが男女ひとりづついるな
と、考えてた。どちらも、マトモに取り合っては
貰えなかった。男は妻子に捨てられ、女はカラダ
ばかりでなく、心を治すにも薬に、頼りはじめた。
2人とも「1大決心だ」と、伝えよこしてきてた。
この先、よくなんないんだし、しがみついてなよ。
そう言ってやりたいとこだったけど、この時期を
逃すと決断できないんだろうな。とも感じたので
結局、その件については放置するに任せたのだ。



今、考えてみれば当時、碌な機材も整っておらず
あんな鉄火場で終日、ディスプレイを見つめ続け
睡眠負債が、蓄積されてたのだろう。
Yに関しては深夜、そこがどこだろうが10分で
熟睡してしまう。タクシーに押し込んでも決して
目を覚まさない。店やからあの、巨体を引きずり
だすのが面倒なら、絶対に呑ましてはいけない。
そうキツく言い渡されてたものだった。
「ナルコプレシみたいな、なんか厄介なもんかも
しれないぞ」
そんな噂すら流れてたくらい、理解がなかった。
あのままの覚醒感で滑空してきたに違いないのだ。