ポップカルチャーの終焉

「リアル」の意味については、ブクマで定義した。
なにかを「書く」というのはそれだけでとっても
悪いことで、だからあんなに面白いのである。
スタンダール
「文字の与える幻覚作用」
とまで言いきってる。お馴染みの
「ネットと現実を混同して、とんでもない迷惑を
ひとさまにかけてしまう」
問題だ。
当然ながら彼はこれを、ポジティブな条件として
とらえてる。リンゴの絵を見て、ヨダレがでない
ようであれば、優れた作品。とはいえないから。
同じように匿名で、誰かの悪口を言ってイジメる
のはとっても面白い。
陰口や噂話、オフレコ、ここだけの秘密、村八分
これらが嫌いな人など、いないはずだ。
ペンが日本刀より危険なのは、諺によるでもなく
常識である。
本質がかくなるものだからこそ、われわれはより
慎重であらねばならない

とするのが、モダニズムまでの考えかただった。



「こんな絵がニューヨークで1500万!」
を私は、携帯小説関連の話題として読んだ。
これらは全て、同一の軌道上を旋回してる。
ポストモダンとはメロドラマ、宣伝、ネタをネタ
として楽しむ、下らないとわかっててもついつい
アソコが疼いて涙がでちやう。の類をさす。
例えば19世紀のコンテクストで
「私の母は、立派な人物だった。女は顔じやなく
知性だと教えてくれたからだ」
言ったとしたら、酒場のほら吹きと思われるのが
オチである。
「オメーに教えてもらう筋合いはねーよ」
だからだ。
この手の下らないネタを、100円コーナーから
掘り、再利用してきたのがポップカルチャーだ。
これは、価値観の共生。といえば聞こえはいいが
異様な混合でもある。
1)素で「感動しました!」と言ってるやつ
2)「作品として」見るべきとこを信じてるひと
3)金もうけになるか、が誠実な判断規準な連中
4)昔かたぎな正義感
5)とにかく気にいらない!
6)病識がないのか?(誰に?)
7)パトラッシュ疲れたよ・・
ざっと挙げただけで、これだけ多様なのだ。
喧嘩にならないわけがない。
だが各自が読解力の限界に挑戦してくしかない。
うすうすみんな飽きて、退屈してきてるからこそ
「好きとはなにか」
みたいな話にグッとくるわけだし。
古典的なテーマにたち戻らせようという使命の下
悪役をかってでるバカにもこと欠かない。しかし
フォルスタッフが言うごとく
「150人いたら3人くらいしか生きて帰れない
そいつらだって余生は道ばたでコジキ」
が戦争というものなのだ。



個人的には、村八分というか仲間ハズレというか
卑屈なイジメまがいの反応にでくわして爆笑した。
(ぜひともブクマをたどって参照してもらいたい)
お里が知れるだけではないかと心配もしてる。
だいたい他人のやることにいちいち文句つけてん
じゃねーよ(笑)
自分のキズをひけらかし、恨みの香水をふりまく。
それが許されるのは熟女だけである。
だから誤解されんだよ。
「てっきり中年の女の方だとばかり思ってました」
てさりげなく刺されんの。
難癖つけてるヒマがあったら、女の腹にきちんと
耳あてといたほうがいいぞ。



ひとことだけ言っとく。
私のまわりには当然、私なんかより立派に社会へ
貢献してる女のひとで、1ヵ月のうち寝てる男の
数が2桁で、そのうち名前もよくわからん。のが
半分。え?まだ現役なんですか?やりっぱなし?
なんてのはいくらでもいる。
私の印象ではその数は増えても減ってもいない。
あいにく私は幼少のころからそういう世界が普通
だったので特に恩恵にあずかる気もなく役たたず
のまま、漠然とした今日を迎えてるのが現状だが
それでも現在の私がこうして油を売っていられる
のは顔も髪形も手の感触も覚えてない女の人達に
ほんのつかの間でも愛して貰ったから、に違いは
ないのである。