引きこもりの発生

ちょっと前まで漱石関連の書物では、高等遊民
「今では想像もつかないが、当時はこの主人公の
ように、大学をでても働きもせずぶらぶらしてた
ひとがいたのである」
としてある。
キャラ的にリアリティがないとされてきたわけだ。



「できる限り両親と一緒に食事はしないでおく」
「とりあえずどこか部屋へ閉じこもる」
「囚人として生ける死者のように暮らす」
↑これらは全て17世紀ジャンセニズムの引用だ。



今年に入ってから、かつて新聞社に勤めてた人の
蔵書を何セットか、目撃するチャンスがあった。
印象深かったのは、全員がパスカル−ヴァレリィ
そして、キェルケゴールの愛読者だったことだ。
しばしば戦前の知識階級をデカンショと称するが
おそらくはそれからやや遅れて、また別の流行が
対極ともいえる潮流が、ながれてたのだと知った。



パスカル「瞑想録」白水社
は、1941年12月10日に27版を重ねた。
初版は39年9月末。ほぼ月刊のペースである。
手もとにある27版と28版を比べると、後者の
奥付はただ
「昭和17年8月20日28版発行(5000部)」
としてあるだけで、27版のように、こと細かく
これまでの歩みを14行にわたって
「13年10月20日再版
13年10月30日3版」
のように、記してはいない。
なかったことにした。とまでは言わない。
すくなくとも、42年8月の時点でふりかえった
去年より前は、違う世の中という理解なのだ。



次にわが国でジャンセニズムが再評価されたのは
70年代のはじめである。これはほとんどの、いわゆる
「引きこもり」
の親世代にあたる。
このようにして先行する世代の無意識下の願望が
結実したものではないだろうか。