パンがないのでお菓子食べてます

どのくらいの社会性をそなえてれば、ひとは乱交
パーティに参加してみようと、決意できるのか。
男にしてみれば、これは自分の精子が、もっとも
イキがいいのだとアピールする、コンペみたいな
ものであろう。
女としても、利己的な遺伝子に率直なのは、この
ご時世では、美徳とすら呼べるのかもしれない。
ちょっと前までは、ブルーフィルムだの、ロマン
ポルノだのいって、会場に集った最大、数百人が
同時に股の血流を増大させてたのだから、相当に
シュールな話ではないか。


現在ポルノについて語るのは、インテリの遊戯だ。
つまり三島由紀夫が歌舞伎を論ずるように、まえ
ばりが伝統芸能の一環となったのである。
おそらくはこれはエビちゃんスマイルや、め豹の
ポーズのような、様式美の問題でもある。
とはいうものの、陥りやすい誤謬とは、今も昔も
スノビズムだ。目下、本当に激ヤバな映画は
「スパルタの海」
なんかじやなくて
ビルマの竪琴
だということだ。



ブライアン・イーノタランティーノ
「どっか大事な部分を犠牲にして、成り立ってる
たぐいのリアリティ」
評してた。
気持ちはよくわかるが、だれもタランティーノ
レニークラビッツに期待などしてやしない。
デジタル革命によってハリウッド映画やロックが
伝統文化になったのだ。
彼らは、まがい物というより、継承者なのである。



ネット上のコピーや、著作権について、あれこれ
いうのはムダである。
それらは資本の論理にすぎない。
前世紀、後半の映像や音楽ビジネスモデルは今後
50年くらいかけて、ゆっくり衰退してくだろう。
個人てきには、地上波もタワレコも、シネコン
これらの流通にかかわる全てが明日なくなっても
全然、かまわない。



それでは、文化さいごの防衛ラインであるとこの
活字はどうだろう。
パソコンなり携帯なりを、どっかから手にいれて
プロバイダと契約し、電気代金をはらう。
もしくはネットカフェでサービスパック。
1冊の本がそれより高価になる世の中がくるのだ
ろうか。