フーコーの振り子の原父たち

さる超能力者によると
「われわれはTVに出演してるひとを見て、誰が
嘘をついてるのかはスグわかる。のだが、なにが
真実なのかは、結局わからずじまい」
だそうだ。
おそらくは疑いこそが主体化への道をひらく。
みたいなことを述べたいのだと思うが、そこまで
天才にめぐまれてなければ、どうしたらよいのか。
例えば親方の言ってることと遺族の話がこれほど
くいちがってる場合。
考えられる可能性としては
1)親方の体験ではああなんだよ{多元宇宙だよ派}
2)記憶が脳内で乱れてるんだよ{トラウマだよ派}
3)サイテーの嘘つき{白きってんじやねーよ派}
など。
↑の件に限らず最近では、法廷で一転して殺意を
翻したりして美しい日本はどこへいってしまった
のだろうと嘆く庶民の声が聞こえるようだ。
ただ、はっきりしたことはよくわからないのだが
本件については当事者が可愛がりとかいう名目で
半殺しまでくらいの暴力は容認してるようである。
つまり
「暴力はんたい!」
とか
憲法9条せかいは平和」
を唱えてればどうにかなると勘違いしてるアホな
やからとは対極にたった、よりプラクティカルな
アプローチができるオトナなのだ。
だったら話は簡単ではないか。
愛知県警はさっさとパクって、拷問によって彼の
人格を改造し、世界観を修正してしまえばいい。
しかしこっから先が問題で、だれが猫に鈴つける
のか。
本来は、暴力頂上決戦の輝かしい勝者なのだから
当然彼の言ってるのがホンネずる剥けだと捉えて
やるのがあるべき国技に対するわれわれの敬意の
あらわしかた。なのだが。