ジャングルは地獄

どっちにせよ、稚拙だと思うけど
「お金で買えないものはない」

「お金があれば(幸せ、女、人の心)は買える」
は、意味がぜんぜん違う。
というかこの2つ、組みあわせが悪いような気が。
論理構造からすると
「神は処女だ」
と言ってるに等しい。さすがは戦闘美少女時代の
カリスマ。
ここから逃れさってしまうクエスチョンとしては
「お金でお金は買えるんですか?」
 


そして何よりも重大な見落としは、たしかに金で
買えない物。なんてのはないんだけど、そもそも
そんなに大したものは、どうせ買えやしない。
という点なのだ。
でなかったら金持ちという存在は、この世に成立
してないだろう。
大したもの、すばらしいもの、払った金額と比較
して得だの損だの言う気にもならないものばかり
売ってるんなら、極論をいえばだれも投資などと
考えず、銀行に預けといたりしないで、ぱっぱと
つかってしまうはずではないか。
それをふまえた上で、またはそれゆえに、買って
かって買いまくらねばならない。
と焦燥に駆られるとこに、複雑な不幸がある。
つまり稚拙というよりは、スーパー貧乏人の発言
だったのだ。



こういう
「金で買えないものはない」
とか
「ジャングルは地獄」
みたいな、ちょっと聞くとすごい真理を語ってる
ように感じるが、じつはあたりまえな話を称して
いわずもがな。と呼ぶ。
ひとは当然のことを、なぜ好きこのんで伝えんと
するのだろうか。



たまに耳にする。
「運というものは、事後的にしか確定できない」
「よってわれわれは『運がよかった(いまいち)』
としか言えない」
「なにごとかの結果。についてのみ、われわれは
『運』という単語を使用できる。未来については
不確定である以上…」



運とは言葉におけるお金のようなものではないか。
なぜならば、ほんの1部「予言」と呼ばれるあの
あいまいな領域をのぞけば、レトロアクティブで
ない意識も、過去について言及していない観察も
そして、結果について語ってない言葉など、ない
から。
予言も
1)単なるうわごと
2)過去の事例から統計てき観念で導き出された
判断集成
に分けれるかもしれない。
あたった場合、どっちのがスゴいかは人それぞれ。



あしたに向かって石を投げたり、夕日にむかって
走ったりするのは大事だと思う。
そしてあの、あいまいな領域が常にどっかにある?
と思ってることも、大事なはずだ。