DQNアメリカ文学の「風景」

代理店社会主義リアリズムとはなにか


世紀をまたぐころ「電通文学」と呼ばれる1群が
隆盛をきわめてたのだった。
ブロゴスフィアてのはなぁ…密室の中の暴力性
なんだ。だからこそオレたちは、生きたことばを
つむいでかなきゃならねぇ」
と、菅原文太の説教(92巣立ち)みたいなのを
えんえんと聞かされるわけである。



これはつまり、労働歌のジャンルなのだ。かつて
女工たちが劣悪な条件で、その手を1日中動かす
あいだ
「ろんどっんばしおちた、おちた」
意味もわからずに、唱和することによって自らを
織機の歯車と化せた。
「覚醒せよ!」
と命令されると、たちまち眠くなってしまうのと
おなじように、職人の大量生産を企む秘密結社の
甘言とすらいってもよい。
それゆえに、いくつかのレコード会社はパチンコ
女王をひたすら
「アーチスト」
と、謳いあがめつづけるのかもしれない。



しかし今日び歯車といわれて、グッとくるひとが
どれだけ、いるだろうか。スゥオッチもブレゲ
ニッキと東山ほどしか違わないのである。
資本主義リアリズムが組織の歯車を生産する宗教
だとしたら、この代理店社会主義リアリズムとは
歯車をブラックボックスへ変換するアヘンなのだ。




青春が終わった日


連合赤軍事件における1番の悪夢は、リンチ殺人
でも、山荘たてこもりでもない。
管理人夫婦が、当時としては流行の最先端である
「脱サラ」だった事実に、注目したい。
これより以前は、地方とは郷里、寺山修司でしか
なかった。それが田舎、ディスカバージャパンや
アンノン族へ、モーフィングした。
よく歴史の本に
ロマン主義になって、初めて登山が趣味と認識
された。それまで恐怖でしかなかったエベレスト
が、崇高と受け取られるように…」
と書いてあるように、パラダイムチェンジの瞬間
ほんの数秒、時空がずれ異次元への虫の穴があく。
空腹を抱え、山中をさまよった闘士たちの鼻先に
ひろがった街の灯かり。ようやくたどり着いたと
思った佐久市が、じつはレマン湖の畔に展開する
人造現実。所詮は模倣でしかない、ニュータウン
だったという、マカロニ西部劇にあるのだ。



フルメタル・ジャケットのインタビューで
ベトナム戦争は最初の代理店戦争だ。やつらは
数字を適当にでっちあげてた」
キューブリックは語る。
全共闘世代は「体制に」負けた。と言われてるが
正確ではない。
サマンサ・タバサと手編みのセーター同棲時代が
正面から、ぶつかったのだ。
恋愛とマニュアル文化へつながってく、資本主義
リアリズムのまくあけである。