代理店社会主義

定義

代理店社会主義。とは、かつての国家社会主義
換わって、われわれを支配するイデオロギーだ。
国家社会主義が、あくまでも領土や民族のような
実体を基とした拡張を、目的としていたのに対し
代理店社会主義は、串をかましてるがゆえ、常に
多国籍である。
「センセイ。貴方は、か弱き大人の代弁者なのか」
そんな疑念を、1度は感じた経験があろう。
誰がだれを代理してるのか、なんのためにどんな
役を演じ続けねばならないのか、全くわからなく
なってしまって、久しいから。



肖像

Tさんは、実在の人物だ。
60年代には、学生運動に身をささげた。その後
マスコミ関係に就職。小さな出版社を経営してる。
この平凡な、どこにでもありそうな成りたちから
わかるように、肖像は完全に歴史の産物なのだ。



シリーズ「青春が終わった日」によると、最近の
日本は2つ、ピークをむかえてたとわかる。
バブル鎮魂歌と全共闘それぞれの“決着”である。
登場してくる人々を観察すると、彼らをそれぞれ
終焉に導いたのは何だったのか?が見えてくる。
一方、Tさんは青春、真っ盛り。
弁証法てきに、これらのターニング・ポイントを
トランスフォームできた、稀な例だ。



イーグルス

ドゥービー・ブラザーズと共に、あの蓮池さんが
孤独の中20年、口ずさみつづけたイーグルス
そのデビュー当時、カントリー・ミュージック
呼ばれてた。
西海岸、特にハリウッドをド田舎と解釈したのが
彼らの偉大な発見といわれてる。
勝新太郎も「座頭市」のサントラに起用を考えた。
これらからわかるように、カントリーこそ最初の
ワールド・ミュージックだったのである。



戸井十月のインタビューに応える、還暦まぢかの
闘士たちは、別の惑星から落ちてきたようだ。
まずは服装が身体にあってない。
というか、ぶかぶかなのだ。このへんは、未だに
ボディコンを披露してみました鎮魂歌とは至って
対照てきである。



そしてなによりも、いったい何を着てるのかよく
わからない。アピールしてくるものがない。
または衣服を、社会に対するアピールの手段とは
考えてないのだろう。
ジャケットはジャケット。セーターはセーター。
靴は靴。これがどれほど異様か、ひとたび舞台を
スーパーマーケットにおきかえてみればわかる。
「卵を買ってきてちょうだいね」
と言われて、われわれが手にとるのは卵ではない。
イセの森のヨードひかり。だったりするはずだ。



ひるがえって「情熱大陸」ネタ。
目下、盗作騒動の渦中にゆれてる会社長の趣味は
オーダーメイドのスーツづくりである。
この知る人ぞしるテイラーでは、年会費のような
システムを採用してる。
いくらか払っておくと、あとは生地代だけ。
彼にいわせると、ビジネススーツは消耗品。
XXXXXやXXXXなどの、最先端流行の型を
そのまま旦那に活かしてもらって、毎年、何着も
ビスポークしてくのが、結局は、賢い選択なのだ
そうだ。
見た目はトレンディ。生地は1流。仕事は丁寧な
職人技。
これ以上をはたしてひとは、望みうるだろうか。