UFO騒動から抜け落ちてる物

先生が神楽坂に、ご自宅を構えんと決意したのは
近くに、菊池寛の家があったからだという。
門から玄関につづくアプローチは、白樺の並木。
道路から窺ってると、浴衣の帯をだらんと垂らし
ちょうど放射線、中ほどの1本にもたれつつ客と
応対するさまが、たいそう粋にみえたのである。
当時の先生は、キャリアの絶頂期といってもよく
ほかに娯楽もない時分だったのもあわせ、汽車で
地方へ旅行する。駅には何処で話をききつけたか
1000人くらいが待ってる。というのも珍しく
なかったそうだ。
最初にUFOに遭遇するに至った経緯はネットで
語られてるとおり。
ただ
「実在を確信して」
という形而上の探究心よりも、連載の参考資料に
なれば…との想いで、モノ干し台に立った奥様が
呼んだのだときいた。
しかしご自宅は敷地の中に、おかかえの寿司屋が
店を開いてたほどの、豪邸なのだ。
そのライフスタイルは、ロックスターがTシャツ
売りへモーフィングしてまう、ブッとびようで
「なぜ見なくなったか?」
と問われても、それはそういうもんだろう。めの
つけどころが悪いからだとしか、申し上げようが
ない。
ラストシーンに登場してくる母船群も当然、目撃
されてる。
母船は長さにして、だいたい3キロだったらしい。
このころはもう、呼べば来る。状態だったとかで
さすがにこの規模にもなると、1隻ならともかく
こちらとしても礼をつくさないと。
と、わざわざ北海道まで、行ったのだという。
その話をダチの徳川夢声に、彼が司会をやってた
ラジオ番組にゲストで招かれた際、つい自慢した。
すると翌日に軍(先生は「GHQ」と言ってた)
から、ちょっと顔かしてくれないか?と要請され
おそるおそる、こりゃマズいかもしれんなぁ…と
でかけてった。
「そんなに煽っちゃこまりますよ」
て高官に言われちゃってさ。と先生は嬉しそうに
教えてくれた。