踏み絵

こんにちは。格別のご配慮をありがとうございます。


「踏み絵」がどうたら、といった記述をみかけます
ので、そのへんからお話させていただこうかと。
わたしは、現在の学校教育で語られてる、日本国に
おけるキリスト教史は不十分だと考えてます。特に
わたしが問題にしたいのは「かくれキリシタン」に
ついて、です。
キリスト教が禁止され、地下へもぐり、誰が信徒か
あばくため、踏み絵が行われてた期間は少なくとも
この宗教は原理主義的な、側面をもってたはずです。
おそらく一般の人が、踏み絵に抱いてるイメージは
こんなもんじゃないでしょうか。
毎日、隠れて朝晩の祈りを欠かさなかったAさんが
ある日、奉行所へ出向くとそこにはイコンが。
「信者でないなら踏んでみろ」と役人に強要される。
ホンネとタテマエ、みたいな話ですね。
内緒にしときゃ、よかったのに。的な。
わたしはもっと、スターリン裁判に匹敵する残酷さ
が、あったと思ってます。
それはこんな感じだったはずです。
ひごろは熱心な仏教徒だったBさん。キリスト教
ついては噂で、知ってるくらい。なのにどうしても
イコンが踏めず…
つまりBさんは、キリスト教徒である自己を初めて
踏み絵というイベントによって、確認したわけです。
「自分のこたぁよーわからん」とか言いますよね。
自分さがし。なるものが若者のテーマになったりも。
わたしの中に隠れてて、わたしも自覚してなかった
から「かくれ」とつくのではないでしょうか。
世間では「社会から隠れてたから」となってますが
別にそれだったら(奉行所から)かくしキリシタン
でも、ぜんぜん問題ないような気がするんですけど。



現在の仏教系原理主義である、オウム真理教を例に
とってみましょうか。
常識人であるわたしは
「ありゃマズいんじゃないの?」
と思ってます。
とはいうものの、ボンクラでなまけ者のわたしは
「あんなあさの8時半から満員の地下鉄なんかに
よく毎日のれるよな」
同じく常識から、疑いをもってることも事実です。
するとわたしは1/1000くらいオウムシンパ
かもしれませんね。
じつはもっとだったりして?
尊師の絵をだされたら、踏めなかったりするかも
しれません。
「なんか気の毒で…」
とかいっても、言い訳にしかきこえないでしょね。
原理主義とは、人々のなかに「憎むべきもの」と
して存在してるわけでして、愛と憎しみ、さらに
それらの否定である無関心ですらもフランス小説
では、ファミリーですからね。
たぶんだれにきいても
原理主義?そりゃ許せないよ」
としかコメントしないと思いますよ。
もしかしたらタリバンのひとだってそうかも。



かくれキリシタンのアイテムに、なんでしたっけ
お日さまにかざすと十字架?が浮きでてくる鏡や
石灯篭?のなかに、たくみにしこまれたマリア像
みたいなやつがあるじゃないですか。
まさかそんなことになってるとは、夢にも思わず
代々うちに伝わってきた鏡だ。と大事にしてきた
Cさん。今日は奉行所へ。
さて、Cさんの運命やいかに。
みたいなことも考えます。
「強要された価値観」のテーマですね。
「泣かせる映画」とかいって、ありがたがるじゃ
ないですか。
現代社会がそれこそ強制。泣かせ、笑わせ、興奮
させる(勃起とか濡れるとかそういうお話で)と
いう3本柱でなりたって久しいがゆえ、わたしは
今回のチョ・スンヒさんが、文化英雄に見えたり
もしてます。
「適当なもんばっか俺に押しつけやがって」
と言ってますよね。ビデオレターで。
きわめて健康な感想だと思いました。
新型のベンツ、どうみてもモデルチェンジまえと
くらべて安っぽい造りになってますもん。
CMじゃぁね。そりゃよくなったとしか言わない
ですけど。雑誌だって紐つきの提灯です。
それからみんなが「これは酷い。稚拙」と散々な
評価だったスンヒさん作の戯曲ですが、わたしは
必ずしも、そうは感じませんでした。
あんなもんじゃないすかね。ハリウッド映画。
「化体」というものがこの世にはあるわけでして
脚本がひどければ酷いほど、画面でスター俳優は
輝いて見えるんでしょうし(サイエントロジー
ネタなんか典型です)、億万長者がバカやってる
のを見物するのが、息抜きだったりもしますしね。


こんなところでいかがでしょうか。
それでは失礼します