たなあげ問題

天守閣からながめたところ、わが研究所にも火の手が
迫りつつあるようなので、本日は、諸氏のご猶予をば
賜って、誤解をといてきたいと思うのである。



おまえモナー(AA略)
で有名な「自分のことを棚にあげて、すきなこという」
特権は、じつは性別が、からんでるのだ。
フランス語における「海は女性」みたいな話である。


1)女の場合、棚にあげてかまわない
というか、上げなければ、話し手としての確固とした
ポジションに立てない。
(内容のあることを)しゃべれない。


2)対して男の場合、棚にいるのは裕次郎、ただ1人
である(21世紀の裕次郎。というのもいるらしい)
文字通りの「おたちだい」、限定された人員が一定の
期間のみ、その場を占有することができる。
が、われが立った。という事実を証明するものはない。
そればかりか、これは権力の記号であるから、じっと
黙ってなくてはならない。
口をひらいたとたん、イケメンでもボロがでる。
映画「海猿」で、それまでは男も惚れぼれするような
活躍をみしてた伊藤英明が携帯で、加藤あいに告った
瞬間、アメリカ人の観客が大爆笑した例を思い出して
いただきたい。
決して、センシミアのせいばかりではない。
これが「棚にあげやがって…」といわれる所以である。
男はすべて(ココ重要)まぶたの裏に、離ればなれに
なってしまって久しい、をさないアニマを探す淋しい
鉄道員(ぽっぽや)であって、あいにくどれもそんな
大差ないのだ。
どうぞお手柔らかにお願いしますよ。


女の場合にもどる。
そのポジションでなくてはならない。と、いうことは
すなわち、特権性を失うと同義である。
つまりそこが棚だかどこだか、よくわかんなくなって
しまう可能性が大きいわけだ。
かつてはジュリアナの扇子。というものもあった。
「なんでま女共は、あんな裸みたいな格好して人前に
でてくんのかと、俺もこの年まで不思議だったけれど
ようやくわかった気がするよ」
そう永井荷風も記してる。