探険隊歳末スペシャル

「体毛5M!ジャングルに世界1の卑怯者を追え」



一定の知性を備えてるはずのいい大人が集まって
結局は「卑怯」とか「信じれない」みたいな話に
しか落ちてかないのは、それなりの訳があるのだ。
古典文学の「恋」から、この問題を考えてみよう。
匿名−実名のチョイスとは
「あなたは誰ですか?」
という、人格にかかわる不可能なクエスチョンが
大地に両膝つき、敗れ去る2つの方法なのである。
これらは、お互いが相手の急所へと食い込む形で
失敗の原因となってる。つまり我々が性別を語る
やり方と、この問題は相同の関係にある。ゆえに
いつまでも解決がつかない。満足のいく答でなく
議論そのものが議論の目的だから。かもしれない。



増田を注意深く読むと、誰が書いたかわかる時が
たまにあるはずだ。
文章、特に個性の強いそれは手癖のような物から
逃れられず、才能が署名の代わりになる。
匿名そのものは存在せず、場合によっては凡庸な
実名より、よほど真実に近い。これは「女性」だ。



反対に実名は、全国30万人の中から最も有名な
卑怯な、才能ある、温泉好きな・・等々の条件から
どの鈴木一郎さんがそれにあたるかを探す作業で
名前そのものが珍しかったりもするけど、結局は
イカサマ加減に大差なく、どれも濡れ落ち葉な点
からしても、どうにも「男性」である。
教頭先生が1番スケベだったり、国営銀行頭取が
インチキファンドで丸儲けだったりするのだから
匿名の方が遠慮なく書ける−バレたら差し障りが
あるように感じる−実名ブログはありがたい事を
言ってるように見えるが、実際は神父さまの説教
みたく、退屈な自己満足。そう感じてしまうのも
無理はない。
とはいうものの、これは職業や金銭の問題だから
全てにあてはまりはしないのだが。



機能面からすると、この道は一方通行だ。匿名が
実名となることによってしか、見えてこない。
処女に男の格好をさしてみたり、謎の令嬢に迫り
なんとかして、その名前を聞き出したり−相手が
名乗ってしまえば「乞い」は成就。とされてた−
これらがシェイクスピアを初め、あらゆる喜劇で
おなじみなのは、その不可逆のせいでもある。
つまり匿名−実名論争はこの、使い古されてるが
ゆえに、永遠に新しく見えるテーマの変奏なのだ。
1)女が(他の)女の仮面を剥ぐ
2)男が巧みな弁舌によって誠意を装う
どちらが卑怯で、またどちらが信頼に欠けるのか
時と場合にもよるが、だいたいわかってこよう。




ここから先は余談。
ざっとチェックした限りでは
「万が一、バレると影響を及ぼしそうな」
社会の矛盾を鋭くつき、根幹を揺さぶってる。
そんなヤバヤバなブログなど、どこにもなかった。
どれもが皆、成金が錦糸町のランパブでロシア人
ホステスを口説いてるのがブロゴスフィアだ。て
勘違いしてるんじやないか?と思うくらいだった。
おそらく匿名ブログで、実名バレしてうんぬんと
言って思いうかぶのは、例の「ことのは」だろう。
しかしあれは過去の話だし、私規準ではオウムは
わが国の誇る立派な原理主義なのだから、べつに
どうもない。所詮は宗教だ。
そういえばひとりだけ。今回
「この人は匿名だけど、こんなこと書いてるのが
仮に実生活サイドに知れたら、信頼をおとすかも」
いったいそのへんはどうなってるのかな、どんな
人にも係累があるはずなのに。強い人なのかな。
この人ひとりの為にも、やはり匿名は匿名として
保護されなくちゃいけないのかも・・
一瞬、感じてしまった匿名ブロガーがいた。
あの実名あばきをやってのけた彼にほかならない。
このていたらく。
卑怯だのなんだの叫んで、何かを言ったつもりな
諸君は、ジャニーズ事務所にでも入って尻の穴を
せいぜい拡げてもらったらどうなのだ。
もうひとつ。
喧嘩のやり方としては、実名が匿名をあばくのも
匿名が匿名をあばくのも、厳しく、採点するなら
最上の策とは言えない。
匿名だった相手がある日、自ら名前や所属を開示
告白するよう、もってかねばならない。
そんなことをしたからといって、何が換わるわけ
でもないのだが。