あの素晴らしい愛

68年の性革命。その後80年代に絶頂を迎えた
恋愛至上主義。これらの夢が潰えた地点が、あの
高原のコテージだったとは。



社会不正や差別について少しでも真面目に考えた
経験のある者たちは、同じ壁へ突き当たってた。
そもそもは女を、消費財として交換することから
始まってるわけだからして、王さまの首を切った
ところで、根源的な解決には繋がりそうにない。
世界を換えるにはまず、意識を変革せねばならず
そのための最も適切でかつ平和的、皆から賛同を
得れそうな手段こそが、家族制度のリモデリング
だったのである。



男女は平等とされ、互いの合意をもって結びつく。
とはいうもののこれは、平等を得るために自由と
勝手に任せるという、逆説を孕んだイデオロギー
であって、サブプライムと同じ問題点を抱えてた。
1)家を持てない貧乏人を、この世からなくそう。
これが証券化バブルの建て前だった。
愛情というルールは、万人に適用可能だろうか。
2)食後の皿洗いや育児の負担などが「価値観の
相違」概念で語られるようになった。
お隣が格安の空き家だったら引っ越すべきなのか。



新自由主義が性革命に代表される左翼運動の帰結
だとしたら、証券化バブルの破綻とは、これまで
40年に亘って私たちに影響を及ぼしてきた文化
コードの終焉でもあって、あの歌を口ずさむ者は
もういない。
「必要とされなくなった」
とは、単に売上げがおちたとか新たなメディアの
誕生。では説明しきれない、深刻な話だったのだ。
誤解はどこにあったのだろう。



普通に考えるなら、
封建的だった家族制度を脱神秘化するには、その
1番の神秘「性」を解放すればいい。
科学や理性が我らを導く。
合理的なカップルが大量生産され、それに応じて
世界もまた、正気をとりもどしてくだろう。
好きでつがいになったんだし、納得いくとこまで
コミュニケーションで解決すべき。
なはずだった。



だが性解放のためには「愛の賛歌」が必要とされ
(でないと乱交と見分けがつかなくなってしまう)
にもかかわらず生まれたのは、合理的な結びつき
というより性の合理化(売春を「援交」ある種の
アセスメントとよぶ感覚に似た何か)と、そして
「賛歌」を永遠に歌ってなくてはならない義務の
2つでしかなかった。
この歌こそがある日を境に、呪いへと変換されて
しまったのだが。



68年が確かに革命だったのは、意識変容に伴う
1瞬のユートピア形成にある。
ほんのつかのま、それこそ1夜かぎりだったかも
しれないけど、手あたり次第にヤリまくってれば
それが愛だった。悩みなく愛と性とが直結できた
人間革命な瞬間があったのだ。
もう決してやってこないし、だからこそ人は
「もう1ど」
と歌うのだろうし、革命に殉ずるとは歌に殉ずる
ことでもあるのだろうけど。



ほんとのことを言うと、いつしか「愛の賛歌」に
冷めてしまってた。
「昭和の大ヒットBEST100」
なんかをTVで見ても、別のメンタリティ、別の
民族、奇妙な客観性で己を鼓舞してるようにしか
聞こえない。
「よこはま、たそがれ」
が、風景を発見した国木田独歩より遠く感じる。
この恋愛レボリューションの失敗ばかりが目立つ
ようになってしまってた。



最大の敗因は、常にその結果である。
物ごころついた私の過ごしてきた革命後の東京は
既に巨大な人肉市場であって、特に彼らの生産物
ジュニアとよばれる子供の世代がひどかった。
順当にいくならラブチャイルドたちは立派な愛の
伝道師や継承者になってるはずだった。
しかし次世代に襷を繋ぐのが上手くいった例など
ないともいえる。



性革命の、優生学的な側面も否定できない。
生まれてきたのは完全な商品にしか見えなかった。
お互いの価値観について誰かと話す前に、自分の
価値を誰かに査定してもらわねばならない。
ある者はセカイへ閉じこもり、ある者は自分探し、
おしきせの理想や正義感に、病理的自己愛ゆえに
自らを重ねあわすことでしか、表現の手段がない
者たちもたくさんいた。
そして何よりも、これほど多くの人が
「私は男か女か?」
に束縛されるようになった。
これは解放とは、ほど遠い。



2003年に形見分けしてもらった日記の1節に
ありし日の加藤和彦が登場してるのに気がついた。
1974年の9月1日だから、ちょうど「黒船」
レコーディング直後。世界中誰もが認めるだろう
キャリアの絶頂期。
この日記の書き手は、当時30代半ばの女性。
2年の予定でイタリアへ男あさりに来てて、今で
いうとこのイエローキャブの元祖のようなもの。
彼女のもとを友人だったミカとトノバンが訪れた
のである。



以下はその抜粋
『1日(ローマ)
朝、11時にミカとトノバンを飛行場まで送った。
(昨日4人で泊まったミカの部屋は1晩4万円)
ミカはスパゲッティが美味しいとばかり繰り返す。
そして「あたしはもう、東京になんかいたくない」
ぽろりと付け加えた。
どういうことなのか問いただすと、なんでもまた
ロンドンにいるとかいう男に惚れてる。この間は
相当なとこまでつっこんで、いろいろと話したの。
再来月にでもまた、絶対にイタリアへ来るから。
そしてこんどはしばらくいるから、と言う。
トノバンは「もう金輪際、東京を離れるのはイヤ。
日本にない物を買って帰れば楽しく、それで満足」
と。
一方のミカは「あたしはもうなにもかもいらない。
洋服だってほしくない。だいたいそんなの…」
駅まで行って4000リラのペンションに泊まる。』



最後に見かけたのは六本木で10年前にもなるが
基本的にはこういう人だったと思う。