ピンポイント・ハルマゲドン

ネットではさんざん、読んでたけど。
「希望は戦争」
てひとに、リアルではじめてお目にかかった。
主張はすべて、どこぞのサイトのうけうりである。
就職氷河期でロクにチャンスがなかった。現在の
日本は、富が集中してる。
戦争さえおこってくれたら…
ホリエモンだいすき。てとこまでそっくりだった。
このようにルサンチマンを率直につたえれるのは
立派だと感じた。



主張そのものは、べつに新しくもなんともない。
「戦争こそ、人間を同等にし、大衆に自分を尊敬
させる機縁となる」
ドストエフスキーも書いてる。
「革命なんかじゃ、ダメなんだ」
とも。
ギャンブラーだけあって、チャンスというものに
敏感に反応してる。
つまりこの議論は、運、機会みたいに純粋な量を
問題としてて、質についてはすっ飛ばしてしまう
いささか素朴な、それゆえにアピールしてるのだ。
サイコロふるのにテクはいらない。
貧乏人ほど、社会参加の手段をうばわれてるから
宝くじがどれほど不利な投資か、気がつかないと
する考えと、どこか似たとこがある。
このひとたちは無知だから、パチンコ玉のような
人生を送ってるのだ。



他にバーでできる芸といえば、キムタクの物まね
くらいな彼の主張
「戦争になったら、みんな平等に…」
このへんまでは、まぁ聞いてられた。しかし
「そこで運さえよければ、ぼくだって…」
あたりでは、さすがにカチンときた。この連中は
原初は蓄積などでなく、収奪だとまでは認めてる。
だがそのあと、年末調整がくると錯覚してるのだ。
1流だの2流だのという話を、やたらとしたがる
バカが、決して3流以上でないのとおなじく
「もしも運が」
発言は、12チャンネルの洋画なら
「ちょっと様子をみてくる。帰ったら結婚しよう」
フラグだろう。
これまで、お世辞にも運に恵まれてきてなかった
はずなのに、戦争となれば好転するらしい。
アルカイダの訓練キャンプにでもいくといいよ」
そう伝えた。あすこなら給料もでるし、休みには
世界中どこでも、往復の航空券支給だって。
「運がよきゃ天国で120人処女が待ってるてよ」
もうひとおししたら、どうも気分を害したようだ。
むこうのテーブル席に、絡みはじめた。
戦死者の過半数が餓死てレートを鑑みるとそんな
かわんないはずなのに、なぜだろう?



かつて
「最終戦争を信じるビジネスマン」
てのが、それこそ石なげればあたるほどいた。
昼間は情け容赦なく
「金もうけがわるいなんてナンセンス」
ふいてまわってるのだが、うちなる罪悪感を救う
のが信仰、とりわけ世界滅亡へのねがいだった。
地球が未曾有の、危機的状況になってくれたなら
わたしが日ごろやってるちょろい金稼ぎもチャラ
だから、こころ痛む必要なんてないのである。
オウム事件以降、みなくなったな。と思ってたら
最近はこういうかたちで、復活してきたのだった。